Memo

311という日

あの日から1年。
いろいろ思うところがあるので書くことにした。

「時効」が廃止された時、「時効間際の報道で捕まる犯人がいなくなる」と思った。
それと同じで、節目の日というのは、私たちにその出来ごとに関するさまざまな情報を与えてくれる。
1ヶ月、1年、10年という節目があることで、マスコミは情報を掘り起こし、私たちには考える機会が与えられる。

3.11のあの時、私は永田町近くのイタリアレストランで同僚と遅めのランチをとっていた。
たぶん多くの東京都民と同じような状況で同じような行動をとっていたと思う。
今までにない揺れに驚きつつ店の外にで、それでもその時点では仕事に戻ろうとして、けれども事の大きさに気付いて、徒歩で5時間かけて帰宅した。

テレビから入ってくる情報は、常に残酷なもので、被災者のメッセージを聞くたびに涙が出た。
ここを離れることはできないけど、私にできることをしようと思った。
何ができるかを考えて、結局、赤十字に数万円ばかりの募金をした。

あの日から1年。
ほとんど毎日、何かしらの話題で震災関連の情報が耳に入ってくる。
自分の仕事の中でも震災に関わる仕事がたくさんあった。

けれども、私はあまりにも実態を知らなかったんだと、
YouTubeにアップされたBBCのドキュメンタリーを見て、痛感した。

日本のマスコミは、膨大な情報の中からひとつまみの「都合のいいもの」を選んで報道しているんだということを、まざまざと見せつけられたようなドキュメンタリーだった。

警戒区域のすぐ隣で暮らさざるをえない女の子。
子供の遺体を探し続ける母親。
たったひとり生き残った教師を責める親たち。
住んでいる自宅なのに、放射能が高い2階には上がれない現状。

日本のマスコミの報道は、原発推進派や政治家を敵に回さない程度の問題提起、スポンサーから苦情のこない程度の放射能汚染報道、そして復興に向かう感動エピソードばかりだ。
感動エピソードが悪いわけじゃない。
誰だって人が頑張る姿は好きだし、サクセスストーリーのような展開に惹かれる。
私もたくさん感動したし、心強くなったし、力づけられた。

けれども輝かしく復興に向かう人の陰に、まだまだ悲惨な現状があり、信じられない環境で暮らしている人たちがいるということを、なかったかのように排除してしまう番組があまりにも多くある。

それが、怖かった。

まだYouTubeにあるので、興味のある方は消されないうちに見てみてください。