始まりの日

赦罪 - 15

尾形澄人

 科長に飲みを断って科捜研を飛び出して、タクシーに乗り込み、神田にリダイヤルする。
「さっきのキャンセル」
 それだけ言って、通話を切った。

 ――雨宮が一ノ瀬のマンションに来てる。今すぐ、来い。
 電話越しでも、相沢の強張った声と緊張感が伝わってきた。
 何かあった。直感的にそう思った。
 一ノ瀬に、何かされた。どんな卑劣なことでも顔色ひとつ変えずにする男だ。
 せっかくの総理への繋がりを放棄することになるけれど、雨宮が傷付くことを考えると、なんの未練もなかった。

 握り締めた手のひらに、じわりと汗が滲んだ。本庁からタクシーでたった数分程度の道のりが、ひどく長く感じる。
 頼む、雨宮を傷つけないでくれ。
 そう願う一方で、傷だらけになった雨宮が脳裏に浮かぶ。
 運転手に千円札を渡して、釣りを受け取らずにマンションのインターホンを押す。すぐに自動ドアが開いて、エレベータに駆け込んだ。

「雨宮は?!」
 玄関のドアを開けて待っていた相沢に怒鳴ると、相沢は無言でリビングの手前の部屋に視線を向けた。そこにいるってわけか。
 相沢の横を早足ですり抜けて、そのダークブラウンのドアを開け――――。
「っ!?」
 目を、疑った。
 裸で膝を曲げてベッドに横向きに倒れている。そして、両脚の間でしきりに右手が動いていた。その手の中のモノは、痛々しいほど赤く反り返っている。
「フォクシーらしい」
 3年前に正式に麻薬に指定されたドラッグだ。それまでは脱法ドラッグとして流通してたけど、今では裏ルートでしか手に入らない。いわゆる媚薬って呼ばれている麻薬ドラッグ。たまに科捜研にも鑑定依頼がくる。
「どうやって?」
「下から」
「クソッ……………」
 腹の底から、冷たい憎悪が湧き上がった。
 下から、つまり直腸から摂取したということだ。
 一ノ瀬が何をしたのか、想像するだけで気が狂いそうだ。
 両手を握り締めて湧き上がる憤りを押さえつけた。とにかく今は雨宮の方が先だ。
「…………量は?」
「8mg。もう30分経つ」
 少なめなのがせめてもの救いだけど、30分も前ならもう完全に効いている。
 理性なんてない。
 憎悪にも似た憤りを感じた。
「一ノ瀬、殺してやる」
 自分でも驚くほど低い声が出た。
 相沢を廊下に残してドアを閉めると、その音に反応してようやく雨宮が振り向いた。
 息苦しそうに呼吸をして、涙目の焦点を俺に定める。
「おがたぁ…………」
 一瞬だけ、ふわりと優しく笑った。その雨宮の緩んだ目尻と口元が妙に嘘くさくて、癪にさわった。
 そして、すぐに雨宮の顔が険しく歪む。
「やだ、来るなっ。出てけよ!」
 ろれつの回らない口で叫ぶように言って胎児のように膝をかかえて丸まった。
 一瞬まだ理性が残っているのかと思ったけど、たぶん雨宮は俺の表情が変わったのを見抜いたんだろう。
 このドラッグは誰かの言う事が自分のことのように思えてくることがある。誰かが寒いと言えば寒く、痛いと言えば痛く、何かに怒れば同じことに怒る。だから。
「雨宮、俺が気持ちよくしてやるよ」
 ベッドの脇に膝をついて囁くと、雨宮はおずおずと俺を見上げて、また微笑んだ。
 潤んだ目と上気した頬で誘う。
 ドラッグだから、だ。
 心臓の奥に広がった苦々しさを隠して、そっと雨宮の汗ばんだ額に張り付いた前髪を梳いた。
「大丈夫か?」
「変だよ、俺……どうなっちゃうんだろ? 麻薬って凄いね…………」
 緩んだ口調でぼんやりと言う。
 一応自覚はあるけど、瞳孔が開いて視点が定まっていない。俺を見上げているのに、俺の上の天井を見ているみたいだ。
「血、流れる音がする………」
 そう言いながら自分の腕を天井に伸ばして、内側の薄い皮膚を耳に当てた。
 完全にハイになってるんだろう。
 幻聴がそんなふうに出るのは、もしかしたら昔の記憶のせいなのかもしれない。
 必死で父親の心臓から流れ出る血液を止めようとした、あの記憶――――それがバッドに出なくて、今はよかったと言うべきか。
 割り切れない複雑な感情を捨てるようにスーツを脱ぎ捨てて、雨宮の傍に座った。
「尾形ぁ…………」
 ねだるような上目遣いで俺を見上げられて、これが薬のせいだと知っていても、ひどく動揺した。
 自分の意思じゃない、薬に動かされているだけだ。
 できるだけあっさりと終わらせたほうが、傷は浅くてすむ。
 戒めるように、自分に言い聞かせる。
「ああ、わかった……」
 そっと肩にキスをすると、雨宮が小さく震えた。
「ぁんっ………」
 こんなことで声を出すなんて、いつもの雨宮じゃありえない。
「うつ伏せになって」
 俺の指示に、なんの躊躇いもなく従う。ずっとそこが疼いていたのか、羞恥心なんて微塵も見せずに膝を曲げて尻を突き出した。一度知った快感は、忘れないから。
 相沢が気を利かせてくれたんだろう、サイドボードにコンドームとローションが置いてあった。指と雨宮の窄まりにローションを塗りつけて襞をマッサージすると、雨宮の双丘がゆらゆらとイヤらしく揺れ、ねだるように押し付けてきた。
 グッと中指を押し入れると、雨宮は何のためらいもなく受け入れ、感じるままに声を上げた。
「あ……んっ………」
 指を2本、3本と増やして、ねっとりと掻き回して解す。ドラッグの影響で括約筋が緩んでいるからすぐにトロトロになった。
 たった1回しか使ったことがないのに、この先の快楽を期待するように先走りが糸をひいて滴る。
 雨宮の弱いところを掠めると、ビクン、と指を締め付けた。

「はぁ………早くっ、お願い…………」
 こんな風にねだってくるなんて、普段の雨宮じゃありえない。
 わかっている。全部、ドラッグの影響だ。勘違いしちゃいけない。
 どんなにそう言い聞かせたところで、目の前で好きな奴がこんなエロい姿をさらしていて、平常心でいられるわけ、ないだろ。

「…………早く、してよ」
 ――――クソ、なんて顔するんだよ………。
 恥ずかしげもなく喘ぐ雨宮の艶かしさに下肢が疼いた。
「覚悟しておけよ」
 雨宮の弱い部分をそっと擦り上げる。
「ここが好きなんだろ?」
 雨宮の背中に覆いかぶさって耳朶の後ろで囁くと、雨宮は顔を俺に向けて素直に頷いた。
「あぁっ……ソコ、いい……」
 息を荒くして、淫らな体勢で腰を揺らして快感を求める。
「いやっ……もっと……奥っ」
 腰を押し付けてきて、理性の欠片もなく性急に快感を求めてくる。
 中心は腹につくほど反り返って、まるで泣いているみたいに小さく震えていた。欲しくてたまらないんだろう。出したくて、ただそれだけで縋りついている。
「誰か………っ」

 その言葉に、ハッとした。
 そうだ。
 俺を見てるわけじゃない。
 今の雨宮にとっては、欲望を満たしてくれるなら、相手は誰だっていい。

「やっぱり、ムカつくね」
 苦い感情をかみ殺して、雨宮の弱い部分をクイッと擦りあげると、大きくの喉を逸らした。
「ああっ」
 タラリと先走りがシーツのシミを広げた。
「こんなところが気持ちいいんだ?」
「いい、いいから……もっと、イキそうっ、止めないでっ」
 そんなふうに簡単に認めて、欲しがる。雨宮だけど、これは雨宮じゃない。
 素早くスキンをつけて、雨宮の腰を浮かせ、体重をかけると、大きな吐息とともに雨宮の甘い喘ぎ声が響いた。
「はあっ……ああぁ……」
 ドラッグで弛緩しているとはいえ、しっかりと解したのと、雨宮の中に恐怖が微塵もないんだろう。容易に俺を飲み込んだそこは、絡んで引き込むように俺を締め付ける。
「入ってる……?」
 小さく、確かめるように呟く雨宮が、ひどく切なく思えた。
 確かめないと分からない。そんな状況なのかもしれない。
 シャツを脱ぎ捨てて、後ろからすっぽりと雨宮を包み込むように抱きしめた。
「ああ、俺が入ってる。分かるか?」
「ん……すごく熱い……」
 何言ってるか、理解してるのかな。
「俺だけを見て、俺だけを感じろ」
 たとえ、この瞬間の欲望を満たしたいだけのセックスだったとしても。
 ゆっくりと腰を動かすと、それに合わせて雨宮も揺れ始めた。いい場所を掠るたびに締め付けられて、油断するとすぐにイってしまいそうだ。
 気持ちよすぎる。
「ぁ……もっと、奥……」
 ねだるように腰を押し付けてくる。
 それに応えようと、雨宮の弱い場所を擦りながら最奥まで突き上げる。
「あぁ、はぁっ……」
 辛そうに肩で息をしながら、それでも俺を締め付けて離さない。無理やり引き抜いて、仰向けにして脚を抱え上げる。
 向き合って一気に挿入して、立て続けに最奥を突き上げると、嬌声を上げて大きく首筋をのけぞらした。
「ああっ! いやっ、ぁんっ」
 呼吸もままならないほど喘いで、目に涙を浮かべ、俺を確かめるように手をさし伸ばす。その手を握り返すと、ほんの少しだけ微笑んだ。
 愛しさがこみ上げた。
 と同時に、心臓の奥でキリキリと刺さる苛立ちを感じた。
 ドラッグなんかじゃなかったら、雨宮が心から望んだ行為だったら、どんなに幸せだろう。
 雨宮の背中に腕を回して、きつく抱き寄せた。
「愛してる……雨宮、愛してる」
 この言葉が届いているのかは分からない。ただ雨宮は、堪らなく淫らに俺を誘う。
 恍惚と快感を追って、全てをさらけ出す。
「ソコ、もっとぉ」
「っ……」
 きつく締め付けられて、我慢するのに精一杯だ。これじゃ最後まで持たない。かといって、出せば終わるっていう薬もでもない。時間が経たないと戻ってこない。
 ゆっくり引き抜いて、代わりにもう一度指を差し込んだ。俺の形に解れていた後腔がヒクつきながら指に絡み付いてくる。
「やぁ、入れてっ、尾形の、欲しい……」
「言ってくれるね…………」
 ニヤリと笑って返すと、雨宮はなぜか嬉しそうに微笑んだ。

 今のおまえに、俺はどう見えている?
 明日目が覚めたら、雨宮はどう思う?
 この行為に嫌悪するかもしれない。
 俺と顔を合わせてくれないかもしれない。
 俺に対する気持ちを、今まで以上に認めないかもしれない。

 けれども、俺はそんなに生易しい人間じゃない。
 どんなに雨宮が拒んだとしても、俺は雨宮をつなぎとめてやる。
 自分でも怖いくらい、雨宮のためならなんでもできるような気がした。