始まりの日

赦罪 - 14

雨宮陽生

 体が熱い。
 熱くて、ひどく窮屈な気がして、目が覚めた。
 一ノ瀬の奴、何考えて……そう考えかけて、頭が少し痛んだ。こめかみを押さえようとして、手が動かないことに気付いた。
「は……?」
 
 唖然とした。
 裸のままベッドに寝かされて、手首を頭の上にまとめて縛られている。
 それも全裸で。

 サーッと一気に血の気が引いた。
 まさか俺これから……………物凄く恐ろしいことが脳裏を掠めた。
「嘘だろ…………」
 俺を犯そうとしてるんじゃないか?
 相沢がこのマンション指定してきた時点で、どうせ一ノ瀬もホモだ。
 しかも、ヤクザの組長――――絶対にヤられる。
 とにかく逃げなきゃ。
 そう考えて周囲を見回した。

 大きな窓あるけど、カーテンがきっちり閉まってて、時間がわからない。どのくらい気を失っていたんだろう。
 手首を縛った紐はどう足掻いても解けそうになかった。
 それに、あの薬の影響か、裸なのにやけに体が火照って背中がゾワゾワと変な感じがする。薄暗いベッドルームの天井と壁がひどく 高く広く見えた。
 確実に正常じゃないよな。
 なんつークスリだよ……俺どうなるんだろう……。
 固定されているわけじゃないから、体はなんとか動かせるけど……冗談じゃない……。
 とにかくここから出ないと、あんな奴に犯されるなんて、この瞬間にマグニチュード8クラスの大地震が起きるより嫌だ。

 体を捻ってうつ伏せになり、膝をついて起き上がろうとしたその時、カチャッと足側でドアが開いた。
「へぇ、そんな格好で迎えてくれるのか。尾形が仕込んだだけあるな」
 いわゆる四つん這いになった状態を後ろからしっかりと見られていた。いろいろ訂正したいけど、今は。
「何考えてるんだよっ」
 あわてて正座する格好になって睨みつけた。けれども一ノ瀬は平然と俺を品定めするように見て、口角をゆがめた。
「俺は嫉妬深い性格みたいでね」
 は? 誰に嫉妬してるんだよ。っつーか、あんたの性格なんて聞いてねーし。
「薬、なんなんだよ、これ」
 だんだんろれつが回らなくなっているのがわかった。何もしてないのに、身体がほてってきて、息が上がる。座っているのに頭がふらついているみたいだ。
「フォクシー、っていう麻薬ドラッグ
「ドラッグ……って、ありえねぇ……」
 名前からして、どうせ媚薬みたいなもんだろうな……相沢もこんな奴とつるむなよ。
「あと5分もすれば、もっと良くなる」
 一ノ瀬は俺に歩み寄って、無造作に肩に手をかけた。
 その触られてた部分がゾクッとして、血液が泡立つような感じがした。
「触るなっ」
 キッと睨んだ俺を、一ノ瀬は鼻で哂って、手をゆっくりと肩から背中へ滑らせる。
 なんだよ、コレ――――。
 内側からザワザワとした感覚が這い上がってきて、そのコントロールできない快感が怖くなった。
 どんなに意識しないようにしても、その震源地を追ってしまう。
「こっちの方がいいんだろ」
 腰を這う手のひらが、正座していた尻の下に差し込まれた。
 嫌だ……気持ち悪い。
「や、め……」
 体を捻って抵抗したつもりだったけど、いとも簡単押さえつけられた。縛られた両手じゃ跳ね除けることもできない。
「嫌なら、もっと本気で抵抗しろよ。本当は、ヤリたいんだろ?」
 耳元をくすぐるように言われて、腰の辺りが痺れた。萎えていた中心に熱が集まる。
 同時に、意識に霞がかかっていくのを、やけに客観的に感じた。

 考えることが面倒になっていく。
 体が中に浮いているみたいにフワフワとして、その気持ちよさに飲み込まれていくような気がした。
 今は、その気持ちよさを感じていたい。
 誰にも邪魔されたくない。
「いやらしいな、雨宮は」
 声が脳に直接響いてるみたいに聞こえた。

 俺が、いやらしい?
 思い返してみて、弾かれたように思考が戻った。
「ちがっ、俺じゃない……!」
 流されちゃダメだ。
 朦朧とする脳で必死に抵抗して、目の前の二つの目を睨みつける。けれどすぐに押し倒されて、膝を曲げたままうつ伏せにさせられた。
 肩をシーツに押し付けられ、尻を突き上げた、危険極まりない体勢にされる。
 逃げなきゃ――そう思うのにドラッグの影響なのか体に力が入らない。
「俺は分別があるほうだ。優しくしてやるよ」
 その言葉と同時に、ヒヤリと何かが尻の間に垂れた。確認するまでもなくローションだ。
 この先の行為を思い知らされて、また一気に青ざめた。
 コイツなら慣らすとかそんなこと絶対にしない。このまま突っ込まれたら、絶対に裂けるっ。
 力の入らない体に精一杯力を入れて、硬直した。
 けれども、意外にも入り口を指でゆっくりと撫でられた。
「っ……………」
 ローションンの滑りを借りて押し解すような、ねっとりとした感触。ジワリ、と理性を侵食されていく。
 気が付くと、その緩やかな刺激を受け入れていた。
 襞のひとつひとつにセンサーがあるみたいに、一ノ瀬の指先を感じて、見えない場所なのに、脳裏に赤く腫れあがってヒクついている映像が鮮明に浮かび上がる。
「淫乱」
 耳元で低く言われると同時に、一ノ瀬の指が体内に侵入してきた。
 抵抗感なんて微塵もない。それどころか、それを待っていたみたいに収縮して受け入れていた。
「んっ…………ああっ………」
 入り込んだ瞬間、ダイレクトに快感が腰をうつ。
「へぇ、やっぱり尾形に躾られてるのか」
 背後で一ノ瀬の嘲笑めいた呼吸が聞こえて、ぎゅっと奥歯を噛み締めた。
「ちがっ――――ん…………」
 わずかに残っていた理性で否定しながらも、一ノ瀬の指の形がわかるほど敏感になってる自分に、焦った。
 行き来する動きや、蠢く指に合わせて内側が収縮しているのが物凄くリアルにわかる。
 ゾクゾクと背中を這い上がる感覚と、後ろから前に突き出すような快感。
 こんなの、気持ちいいはずがないのに。
「ぁ……なんで…………っ」
 気持ち悪いのに、否応なしに反応してしまう。
 嫌だと言う自分を、もうひとりの人格が飲み込んでいくような気がした。
「………っ」
 首を丸めると、自分の体の下でとっくに反り返ったモノから透明な露が滲み出すのが目に入って、きつく目を瞑った。

 頭の片隅で警報が鳴った。
 このままだとヤバイ。
 これは本物のドラッグだ、そう冷静に観察する自分がいるのに。
 一ノ瀬に言われるまま腰を突き上げているなんてどうかしてる、そう思うのに――――俺にはもう、従ってるっていう自覚がない。

 もっと、欲しい…………。
 もっと気持ちよく……………。
 早く―――――!

「26日に破綻したJSTファイナンスの取締役、今朝自殺したんだってね」

 頭の中で誰かの声が響いたような気がした。内容なんて全然理解できない。
 けれども、なぜか尾形かもしれないと思った。
「…………おが、た?」
 呟いた声が頭の中でガンガンと響いて、その音に酔いそうになる。
 自分で何をしているのか、ちゃんと理解できる。俺は一ノ瀬にドラッグを飲まされて、意識がハイになってる。けど、そんなことどうだっていい。
 俺の後ろを探る指が、ぬるりと引き抜かれる感覚に震えた。
「チッ……」
 一ノ瀬が舌打ちをして、無言で部屋から出て行く。バタン、とドアが閉まる音が脳に直接響いた。
 突然行き場を失った快感を持て余して、呆然とした。
「――――雨宮」
 相沢の声が頭上で響いて、見上げると、いつもと同じ顔で俺を見下ろしていた。
「すまない。俺の責任だ」
 そう言いながらクローゼットからタオルケットを出して俺にかけ、手首を縛った紐を解いた。その手首の紐が枷だったみたいに、解かれると全身が開放された気がして、マットレスに手足を投げ出した。
 心臓と呼吸の音とが体中に響いて、目の前が涙で滲んだ。
 奥の方で疼き続ける欲望が、静まるどころかさっきよりも強くなってる。
 どうしようもなく疼いて、内腿をすり合わせた。

 足りない――――。
 誰でもいいから満たして欲しい…………。

「あいざわぁ……………」
 見上げると、俺を見下ろす相沢の顔が冷めたのがわかった。
 でも、そんなこと気にしてられない。誰だっていい。こんな状態がずっと続くくらいなら、相沢だろうが一ノ瀬だろうが、この熱を冷ましてくれるなら―――。

「もう少しで尾形が来る」
 尾形?
 もう少しっていつ?
「ヤダ、今、―――頼むからっ」
 体が熱くて、声が耳の奥でこだまする。ちゃんと言えてるかどうかさえわからない。
 ただこの渇望を満たして欲しくて、今すぐ快感が欲しくて、相手が誰だろうとどうでもいい。
 一度知ってしまったあの快感が欲しくて、羞恥なんてみじんもない。
 目の前にあるスラックスの膝を掴んで、相沢を見上げた。
「早く、してっ…………はぁ…………」
 たまらずに右手が中心を握りしめた。
 そんな俺を、相沢は何も言わずに一瞥し、部屋から出て行った。