unHappy - 1

unHappy X'mas

 はあ……。

 ため息しか、でない。
 最低のクリスマスだ。
 深夜のお笑い番組見てても全然笑えないから、眼鏡を外してテーブルに置いて、ソファに寝転んだまま音だけ聞いていた。
 音がないと、誰もいないこの家は寂しすぎる。

 はあ。
 ひとりリビングで、何十回目かのため息が響く。

 頭に浮かぶのは、あの子の一言。

『ごめん、悪いけど私、小さい子って嫌いなの』

 きっついよなあ……。
 確かに俺は160センチで背は低いけど、でも好きで低いわけじゃないし。
 それに、まだこれから絶対に伸びるんだから。
 っていうか、落ち込むどころか、俺がずっと片思いしてた子が、そんな事を平気で言えるような人間だったって事に、がっかりした。
 中学校生活の大半を注いだ恋愛は、さんざんたる結果でした、と。

 寝よう、もう。
 考えたって、かえってムカつくだけし、いつまでもこんな気分のままいたくない。
 俺は眼鏡をかけると、テレビを消して戸締まりの確認をしに窓のカーテンをあけ――。

 え…………。
「うわああああ!!」

 な、なんだ!?
 何か、いる!

 思わず飛び跳ねて、絨毯に尻もちをついた。
 だって、だって、ベランダに、なんかでっかい黒い固まりが、変な色の目が、こっち見てるーー!!
 焦りまくる俺をよそに、それは俺に気がついて、ぬうっと立ち上がって、それから、コンコンと窓をノックした。
 やたらと背が高かった。
 冬の寒さに窓ガラスが曇っていてハッキリとは分からないけれど、人間の形をしていた。
 ずれ落ちた眼鏡のフレームをあげる。

「ど、どろぼー?」
 そんなの来られたって、今日は父さんも母さんも帰らないから、金目のものがどこにあるかなんてわかんないよぉ。
 しかも、よく見るとコイツ、金髪だよっ!
 外人? 俺、英語しゃべれないし、だいたい、
「なんでこんな所に外人がいるんだよおおお!」
 ここ、マンションの12階だよ!?
 こんな所までのぼってくる奴って一体……なんだんだよ~~~っ。
 泣きそうなくらい、コワイッ。
 腰抜けて動けないっ。

 あたふたしていると、またノック。
 コンコンコン、コンコンコン、コンコンコンコンコンコンコン……。
 って、なんで三三七拍子なんだよ!
 おまえ、外人じゃないのかよ~~!!
 ああ、そうか、今どき金髪だから外人なんてことはあり得ないんだよな。
 って、俺こんなことで納得してる場合じゃないってばっ。
 
 警察に電話する?
 あああ、でももうこんな時間だし、クリスマスにサイレン鳴らして来られたら近所迷惑だし、よく考えたら泥棒はノックなんてしないしっ。
 うわああ、もう、どうだっていいや!!

 俺は思いきって立ち上がると、勢いよくサッシを開けた。

「――――!」

 綺麗。
 それが、第一印象だった。
 黒いロングコートを着た、金髪と青い目。
 部屋の明かりに照らされて、キラキラと光っていて。

「こんばんわ」
 呆然とする俺に、そいつは流暢な日本語で挨拶なんてした。
「夜分恐れ入りますが、少し暖まらせていただけませんかね」
 悪気も無さそうに、皮肉っぽい笑顔を作って。

「え……」
 思わずその展開についていけずに、きょとんとししまった。
 悪い人じゃなさそうだけど、いい人でもないような。
 答えに困っている俺におかまいなしで、彼は靴を脱ぎ捨ててさっさとリビングにあがってしまった。

「ちょ、待ってよ、あんた誰だよ!」
 慌ててサッシを閉めて、追いかけた。
 いくら綺麗だからといって、見ず知らずの人間を家にあげるわけにはいかない。
「クリスマスだし、サンタさんとかどう?」
 と、外人は冗談っぽく言う。
「はあ!?」
 ふざけるな、と睨み付けると、彼はケラケラと笑って。
「まあ、名乗るほどの者じゃございません、ってね」
 どさっとソファに身を投げて、偉そうに長い脚を組んだ。
「名乗るほどのって……、いきなり他人の家に上がり込んで、それって失礼すぎないか!?」
 思わずそう怒鳴ると、彼はにんまりと笑って、
「じゃあ、俺が本名名乗ってお願いしますって言えば、おまえは何も言わずに入れてくれたわけ?」
「それはっ……」
 そんなわけないけど、と言いそうになって口を噤んだ。
「だろ?」
 そいつは意地悪な感じに笑って、コートのポケットに両手を突っ込んだ。
 暖房効いた部屋でもコート着てる事ないのに。
 あ、そう言えばこいつの目的って、暖まることだったっけ?
 今日はこの冬一番の寒さだって天気予報で言ってた。
 よく見たら、顔、真っ青だよ。あの寒さの中に、何時間いたんだろう。

「なんか、あったかい物でも飲む?」
 思わずそう言ってしまってから、思いっきり後悔した。

「あ、わりぃ。じゃあ、熱燗とかある?」

 あああ、俺、何やってるんだろう。
 なんで失恋した夜に、しかもクリスマス・イヴに名前も知らない外人に熱燗作ってあげてるんだろう。
 クリスマスに、日本酒を一升瓶からとっくりに移す中学3年生って……。
 ……情けなくなってくる。
「レンジでチンはダメだからな、ちゃんと湯せんで頼む」
 リビングから呑気な声が聞こえた。
 誰が湯せんなんかするか。
 俺はとっくりをレンジに入れてスタートボタンを押すと、その間に冷蔵庫からつまみになりそうな物を出して、お盆に並べた。

「慣れてるんだな」
 ふいにそう言われて振り向くと、キッチンとダイニングとの間のカウンターに、外人が肘をついて感心したように見ていた。
「別に。親の帰りが遅いから、料理とかしてるし」
 大したことじゃないよ、こんなの。
 そう答えると、彼は特に表情も変えずに、またリビングに戻って行った。
 なんだよ。
 何考えてるんだよ。
 親がいなくて可哀想とか、そんな同情してるんだったら、ぶん殴ってやる。

「あ、じゃあ、チャーハンとか作れる? ハラ減っちまった」

 ……作れますとも。

 かくして、俺はなぜか、夜中にベランダからやって来たずうずうしい外人に、熱燗とチャーハンを作って食べさせた。
 あいかわらずコートを着たまま、そいつはチャーハンを食べて、やけに上手い箸使いで漬け物をつまむ。
 外見に惑わされちゃだめだ。こいつは、完全に日本人だ。生っっっ粋のっ。
「おまえ、料理うまいな。ガキのくせに」
 外人は、ソファに偉そうに座って、チャーハンを頬張りながら、これも偉そうに言う。
 っとーに、一言多いんだよ。
「っるせー。食ったらさっさと出てけ」
 ソファーを占領されて絨毯に座るはめになった俺は、目一杯嫌味を込めてそう言うと、まるで奴には聞こえてないように知らん顔で、
「年上は敬うべきだと思う」
「ベランダから不法侵入して来た奴に言われたくないね、犯罪者」
「聞き捨てならないな。俺は正真正銘、正義の味方なんだけどね」
 正義の味方!?
「どこが!?」
 思いっきり顔をしかめると、彼は真面目な顔で、
「この辺が」
 と言いながら、自分の青い目を指差した。
 じぃっと見つめられて、思わず視線を背けてしまった。
「ははは、日本人ってシャイだよなぁ」
 バカにしてるな……。
「それにしても、おまえさぁ、イヴに家で一人なんて、寂しい人生だよな」
 こいつ、また人の痛い所を。
「うるさい。色々事情ってもんがあるんだよ」
「なんだ、ふられたのか」
「まだ何も言ってないだろ!!」
「なに、違うの?」
「うっ……」
「ほらな」
 ………。
「まあ、その身長じゃなぁ。ちゃんと牛乳飲んでるか?」
 その一言が、突き刺さった。
 大したことないって、自分に言い聞かせていたばかりだったのに。

 なんだよ。
 ずうずうしく勝手に上がり込んでるくせに。
 人に熱燗とチャーハン作らせて、偉そうにして。
 人の傷口えぐるようなこと平気で言って。
 自分は背が高くて綺麗だから、俺の気持ちなんてわかんないんだよ。

「……ぅるさい」
 呟いた声は、自分でもびっくりするくらい、涙声になっていた。
「ん?」
 外人が俺の顔を覗き込む。
 俺は彼を睨み付けて、それからプイっと顔を背けた。

 目の奥が熱くなった。
 なんで、こんなに悔しいんだよ。
 ふられた時は、悔しいなんて思わなかったのに、なんでこんな奴に言われただけで、こんなに。
 ショックで、ムカついて、情けなくて、哀しくて。

「あんたなんかに、わかんないよ」
 人の気持ちなんて、全然考えてない奴に、わかるわけないよ。
「わかって欲しいとも思わないけどっ」
 悔しくて、精一杯強がって言った。

 泣くもんか。
 絶対、泣かない。

「え、ちょっ……」
 外人が初めて焦ったような顔をして、箸を置く。
 眼鏡の向こうでその顔がじわりと滲んで、鼻がツンとする。
 俺は、うつむいて顔を隠した。

 泣かない。
 こんな奴に何言われたって泣かない。
 こんな奴のせいで、涙なんて流さない。

 だけど、俺の目は言うことを聞かなくて、涙が次々と溢れる。
 しゃくりあげそうな呼吸を押さえて、唇を強く噛んだ。
 こんな事で泣いた自分が悔しくて、情けない。
 弱虫だ。

「うぁ……まいったなぁ」
 頭上で、困ったような奴の声が聞こえた。
 勝手にまいってろ。
 絶対、許してなんかやらない。
 もう熱燗だってチャーハンだって、二度と作ってやんない。

 だけど、ふいに、ふわっと頭の上に温かい何かがのせられた。
「……?」
 驚いて顔をあげると、外人が俺の髪をそっとなでて、至近距離で見てた。
 困ったような、少し悲しそうな、けれど優しい苦笑い。
 碧い眼が綺麗で。
 それから、そっと俺の眼鏡を外して、親指で涙を拭う。
 その手は、まだ冷たかったけど――温かいと思ったのは、どうしてだろ?

 俺がぼんやりとそんな事を思っていると、彼はニヤリ、と笑って。
「やっぱり。こっちのがいい」
 しばらく意味がわからなくて、キョトンとしてしまった。
 それから、またからかわれてることに気付いた。
「う、うるさいな! 返せ!」
 怒鳴って眼鏡を奪い返して、乱暴にかけなおした。
「なんで? 絶対に眼鏡じゃない方がいいって」
「しょうがないだろっ。目が悪いんだから!」
 こいつ、なんなんだよっ。
「もーっ、さっさと帰れよ! 十分あったまっただろ!?」
 立ち上がって近くにあったクッションを投げつけると、外人はあっさりとそれをキャッチして、ほんの少しだけ寂しそうな顔をした。
 チクリ、と心が痛んだ。
 でも、こんな奴のために罪悪感なんか感じる必要なんかないんだから。
「早く帰ってよ!」
 言って、ベランダのドアを開けた。
 とにかく、ムカついた。
 からかわれたことや、一瞬でもこいつに優しさを期待してた事とか、それをあっさりと裏切られたことが悔しくて、頭にくる。
「もう来ないで」
 睨み付けてそう言うと、彼はすごすごと立ち上がった。
 サッシをくぐるようにベランダに出るほど、やけに高い身長。またイラっとした。
 それから靴をひっかけて、俺に背を向けたまま。
「チャーハン、うまかった。ありがとな」
「……」
 ピシャリと、ドアが後ろ手で閉められた。
 俺は、何も考えないようにカギを占めてカーテンをひいて、リビングの電気を消して、早足で自分の部屋に直行した。

 なんだよ。
 なんで、そんなに寂しそうにするんだよ。

 ほんの少し掠めた疑問を打ち消すようにパジャマに着替えて、さっさとベッドに潜り込んだ。
 寝る。今日はもう寝る。
 考えないように、早く寝ちゃえばいい。
 あいつの寂しそうな顔とか、優しかった手とか、そんなのは全部気のせいだから。
 人のこと散々からかって、傷つけて楽しんでるような奴なんだから。
 優しいわけ、ないじゃん。

 なのに、なんでこんなに苦しいんだよ。
 痛いんだよ。
 人生で最悪のクリスマスだよ。

 くっそぅ……眠れないじゃん!!
 全部あいつのせいだ!!

 

「人ん家のベランダに得体の知れない外人がいると、迷惑なんだよね」

 1時間後、結局俺は、そいつをまた家に入れていた。
 予感がさ、したんだよね。
 まだベランダにうずくまってるような予感がさ。

 彼は、また顔を青くして、笑った。
「ごめんな」
「……」
 もうどうでもよくなってたけど、許したわけじゃないから、答えなかった。
 なんて言えばいいのか、わからなかったし。
 それから、そいつは残りのチャーハンを平らげて、ソファで眠ったみたいだった。

 貸した毛布は、ソファの上に丁寧に畳んであった。
 朝起きたら、もういないような気もしたんだよね。
 なんでかな。

 テーブルの上に、空になった皿と、とっくりとおちょこと、メモ帳の切れ端があった。
「お世話になりました。ありがとう」と綺麗な日本語。
 その隅に、レイ・アンダーソンと書いてあった。
 あいつの名前、だよな。
 サンタさんとか言って、嘘じゃん。信じてたわけじゃないけど、さ。

「レイ・アンダーソン」
 声に出してみる。
 外人みたいな名前。
 当たり前か、外人だもんね。
 日本語、やたらとうまかったけど。
 熱燗好きで、三三七拍子とか知ってたけど。

 心にぽっかりと穴があいたような感じって、こういう感じを言うんだろうなぁ。
 クリスマスプレゼントにしては迷惑で、でもなかったことにするには、あまりにも俺の心に跡を残した。
 たった、一夜のことなのに。 

 また、話したいね。
 今度はちゃんと、向き合って――……。