unHappy - 2
unHappy New Year
人の心を容赦なくひっかきまわして、何ごともなかったように突然消える奴ってのは、たぶん一生のうちにそうはいないんじゃないかと思う。
クリスマスが終わると、すぐに年末年始の休み。
中3なら普通は高校受験に追われてるんだろうけど、俺の通う学校は幼稚園から大学院までエスカレーター式だから、受験勉強に追われることもなければ、初詣でにも特に思い入れがあるわけじゃない。だから、両親と紅白歌合戦とか見てのほほんと年を越して、いつもの友だちと神社に初詣でに出かけるっていう、平凡な年末年始だった。
はず、なんだけど。
「え、ええ~~~~!?」
思わず人目もはばからずに大声をあげてしまった。
隣にいる悪友マサシが、俺の声を聞いてぎょっとしている。でも、そんなことにかまっていられないくらい、驚いた。
だって、目の前にいるのは、まぎれもなく1週間前に嵐のように俺の前に現れて、去っていったあの外人。
レイ・アンダーソン。
何万という人込みの中で、まさか彼に会うなんて。
ほんの片隅にあった期待が、まさかこんな形で裏切られるとは思わなかった。
「なんだ、こんな所で再開なんて、やっぱりカミサマってのはいるのかもしんねーな」
目を丸くして驚く俺をニヤリと見て、そいつはそんな事を言った。
それを聞いて、頭の片隅で一瞬思ってしまった。
つまり、俺に会いたかったってこと?
「レイ、知り合い?」
ふいに話しかける声に、その時初めて、彼が一人じゃないことに気がついた。
隣に、人のよさそうな大学生くらいの男の人と、気の強そうな今どきっぽい高校生くらいの奴。
「早くしろよ、さみーんだから」
高校生が不機嫌そうに文句を言うと、レイはニヤリと悪戯っぽく笑った。
「ああ、おまえら先に行っててよ。運命の再会、ってヤツだから」
「はあ?」
高校生はあからさまに意味不明って顔をしたけど、その隣の大学生は俺の方を見てにっこりと微笑んだ。
「なるほどね」
何がなるほどなんだかよくわからないけど、ふたりとも正反対のリアクションを見せながらも何も聞くことなく、境内の方へ行ってしまった。
一方、俺の方はマサシの質問攻め。
「なあ、誰?」
俺の二の腕を引っ張って、小声で聞く。
「え、知り合いっつーか……」
向こうのやり取りがなんだか気になって、うわの空で答える。
「すっげぇ、超ガイジンじゃん。なんで知り合ったんだよ?」
超ガイジンって……。
「なんでって、ベランダにいたんだよ」
そうとしか言いようがない。
「は? 何それ?」
「だから、あの得体の知れない外人が家のベランダにいて」
「泥棒?」
「んなわけねーとは思うんだけど」
「なんだよ、訳わかんねー。おまえ、ほんっとに説明下手だよな」
これをどう説明しろっつーんだよ。
だいたい、マサシ相手に下手なことは言わない方がいい。こいつ絶対にネタにするつもりだ。年明け学校に行ったらなぜかみんな知ってるなんてのは、ハッキリ言ってかんべん。
「で、名前は?」
俺たちがコソコソと話してると、外人が急に割り込んできた。
「え?」
「名前、聞いてねーよな」
「あ、えーと……」
言っていいものか、よくないものか。
だってコイツは12階のベランダから不法侵入してくるようなヤバイ外人で、いかにも遊んでそうな意地悪だし。
って考えてるのにっ。
「
「おい、マサシ!」
「なんだよ、せっかく代わりに答えてやってるのに」
「なんだ、中3か。小学生かと思ってた」
ムカッ!
「う、うるさいなーー!! 自分はバカみたいに『正義の味方』とか言っときながら人のことグサグサ傷つけて勝手にいなくなるくせに、エラソーにするなよ!」
俺にしては思いっきり言ってやったつもりだった。けど。
「なんだ、気にしてたのか」
う……ズボシ丸出しだった。
と、その時。
誰かの携帯の着メロが、ハデに鳴り響いた。
「あ、わりぃ、カナちゃんだ」
と、マサシがコートのポケットから携帯を取り出しながら言った。
カナとはマサシの彼女。
「あ、もしもーし?」
マサシは嬉しいそうに電話に出ながら、俺たちから少し離れていった。
それを見ながら、レイは何を考えてるのかわからない口調で、
「カノジョ?」
「え、ああ。そうだけど?」
何か言いたいことでもあるのかと思って見上げると、嫌味なくらいバッチリと目が合ってしまった。
「なんだよ……」
なんで俺見てるんだよ、こいつ。
思わず睨みつけると、レイはまた何を考えてるのかわかんない顔をして、
「やっぱさ、おまえもカノジョとか欲しいと思うわけ?」
なんて聞く。
当たりまえじゃん。っつーか、フラれたばっかりの人間に、そう言うこと聞くか?
「っるーせーな。ほっとけよ」
睨みつけて、ぷい、と顔を背けると、それが逆効果だったのか、後ろでケラケラと笑う声がした。
「羨ましそうに見てたからさ」
……なんでこんな所で会っちゃったんだろ。
会いたいとか、そんな風に思った俺の気持ちってなんだったんだろ。
一瞬でも、もしかしたらいい奴なんじゃないかとか思ったのは、本当に思い過ごしみたいだ。
「ワリィ、知哉!」
勝手に落ち込んでると、マサシが電話を終えて戻ってきた。
「悪いけど、これからカナと会うことになってさ。俺抜けてもいい?」
それは困る。
と言おうとしたのに。
「それなら平気だよな、知哉」
ええ!?
「知哉は俺が責任持って家まで送り返すから」
なんでそう言う話になってるんだよ! っつーか、なんでいきなり呼び捨てなんだよ!
「あ、そうですか? じゃあ、よろしくお願いします。コイツ、ほんとバカなんで変な奴にくっついてかないように見張ってて下さい。じゃ、知哉、またな」
「え、マサシ!!」
焦って引き止める俺を置いて、マサシはすいすいと人込みの中に消えていった。
俺をコイツと二人っきりにするのか!?
なにかあったらどう責任とるんだよ~~!!
だって、人ん家のベランダに真夜中にいるようなヤツだぞ、コイツはっ。
「と、いうことで」
奴は青くなる俺を、ニヤニヤと底意地の悪そうな笑みを浮かべて見下ろす。
「な、なんだよ」
ムカツクくらい高い位置にあるその顔を精一杯睨み返すと、ほんの少しだけ困ったように笑った。
「得体の知れない外人と、お茶でもしませんかね」
初めて会った時から垣間見る、困ったような、寂しそうな顔。
たぶん、そのせいだ。
俺がこいつに逆らえないのは。
俺は昔から、困った人を見るとどうも放っておけなくて、別に助けられるなんて思わないけれど、見捨てることもできないような、中途半端な性格。
こう、良心が痛む、みたいな。
だからだ。
コイツは、人の良心に付け込んでるんだ。そうに違いない。
と、気がついた時には、すでに手後れだったり。
俺はまた言いなりになって、神社の近くのスターバックスにいた。
目の前のふた付きの紙コップを両手で包んで、睨みつける。建て前は、冷えきった手をあたためるため。でも、心の中では「飲む派」の俺と「飲まない派」の俺が戦ってる。
実は、コーヒーは全然飲めない。
おごりだし、付き合いでカフェラテを頼んだけど、ほとんど口つけてない。
でも、言うと絶対ガキ扱いするから言わない。絶対に、言わない。
そんな俺をよそに、彼はぼんやりと外を見ながら言う。
「にしても人が多いよな、日本は」
「東京だけだよ」
って冷めた調子で言ってから、ふと思った。
そういえば、コイツって結局何人なんだろ。
「って言うか、あんたどこ出身なわけ?」
そう聞くと、そいつはほんの少し怒ったように言った。
「レイ」
「レイ?」
どこだ、それ?
「名前だよ、俺の」
きょとんとする俺に、呆れたような怒ったような口調で言う。つまり、名前を呼べと。
それから、テーブルに両手でほ頬杖をついて、気持ち悪いほどニッコリと笑った。
「レイ・アンダーソンっつー、めちゃめちゃカッコイイ名前があるんだから、ちゃんと使ってほしいなぁ」
きっとこういうのが猫撫で声っていうんだ……コワイ。
「え……えっと、レイ、さん?」
冷や汗をかきながら言い直すと、彼はまたにっこりと笑って。
「呼び捨てでどーぞ」
「あ、レイは、出身どこ?」
改めて聞くと、レイは面白そうに笑って答えた。
「生まれは日本だけど、国籍はアメリカ。うちの親父がアメリカ大使館で働いてて、ずっと六本木に住んでた。もうアメリカに帰ってるけどね」
「へぇ。だから日本語ぺらぺらなんだ」
「まあね。日本で遊ぶためには必要だったし」
冗談っぽく言って、コーヒーを飲む。
六本木で遊んでたのか。
やっぱりちょっとヤバイ奴だったりするのかも。
って、こんなのん気にしてる場合じゃないって。
「で? どうして俺ん家のベランダなんかに、しかもクリスマスイヴの真夜中にいたんだよ?」
最初にして最大の疑問。ハッキリ言って、俺はこれさえ聞ければ使命達成だと思う。
それなのに、目を見て真剣に聞く俺に対して。
「ほら、夜な夜な悪を成敗して走り回ってるから過労でさ」
ひょうひょうと、悪びれる様子もなく言う。
「……」
押さえろ。押さえるんだ。
コイツのワケのわからない冗談に、いちいちムカついてたらラチあかないぞ、と心の中で大人の俺が言う。だから、俺は今の質問を諦めて話を変えてみる。
「じゃあ、なんで日本にいるわけ? 仕事?」
素性を知っておかなきゃね。考えてみれば、俺は名前も知らないのに、こいつを家に泊めてたんだ。しかも両親がいない日に。すっげぇ、不用心だったよ。
「仕事」
「なんの?」
そう聞くと、彼はまるでサラリーマンと答えるかのように。
「正義の味方」
「……」
長い沈黙。
また心の中で二人の俺が戦っている。怒る派と怒らない派。そして、のんびりコーヒーを飲む外人を前に、なんとか怒らない派の俺が勝利した。
「で、本当は?」
気を取り直してもう一度。
「だから、正義の味方だっつったろ?」
………。
「あ、そう」
「信じてねーな」
ぶち。
「……っ信じるわけねーだろ!!」
ったく、なんなんだよっ。
「からかうのもいい加減にしろよっ。 こっちは真剣に聞いてるのにそういう態度ってありかよ!すっげームカツク!」
勢いで、思わず手にあった冷めたコーヒーを一気に流し込んでしまった。
「うっ……」
まずい……。
なんだよ、なんでこんなに苦いんだよぉ。人間の飲物じゃねーよ。
「何? おまえコーヒー飲めねーんなら先に言えよ」
あー、またガキ扱いされる。
と、言い返す言葉を考えていたのに。
「ったく……」
彼はそれだけ言って席を立って、どこかへ行ってしまった。
「なんだよ……」
調子狂う。
何考えてるのか、全然わかんない。この前会った時だって、優しかったり、いじわるだったり。どっちが本当なのかわからなくなる。
心にぽっかり空いた穴とは別に、もどかしいような寂しさが生まれたみたいだった。
相手にされないことが、こんなにも寂しいだなんて知らなかった。
外の人混みを見ながら、ぼんやりとそんな事を考えてると、コト、とテーブルの上に何か置かれた。
「え?」
カップがもう一つ。
「ココアだったら大丈夫だろ?」
「あ……」
見上げると、またあの困ったような笑顔があった。
それだけで、冷めた心がとけたような気がした。
俺のために、買ってきてくれたんだ。コーヒー残しちゃってるのに。
「……ありがと」
なんだか気まずくて、俯いてボソボソと呟くようになってしまった。それが余計に恥ずかしくて、あわててココアを飲む。
熱いと思ってたけど、そんなに熱くもなく、かといってぬるくもなくて美味しかった。
「キッズココア」
「は?」
急に言われて聞き返すと、彼は座りながらニヤリと意地悪っぽく口角をあげた。
「子供用ココア。子供にしか売ってくれねーんだよ。温度下げて、飲みやすくしてあるんだ」
それって。
「俺が子供ってこと?」
「ま、そう言うことだな」
余裕の笑みみたいなのを浮かべて言う。
「ムカツク」
キッと睨み返してやると、面白そうに笑った。
俺の反応見て楽しんでるみたいだ。喜んだり怒ったり、まんまと偽の親切にひっかかって傷付いてるのを笑ってるみたいだ。
やっぱり、俺のことなんてただの暇つぶしか遊び道具としか思ってないんだ。
そんなふうに人に接するレイにムカついた。
そんなふうにしか見られない自分が、ひどく惨めに感じた。
「あんたサイアクのサイテーだよ」
低く言ってから、後悔した。
目の前の外人が、ひどく傷付いた顔をしたように見えたから。
俺、なんて言った?
ショックだった。
理由なんてわからない。そんな顔をさせたことが、なぜかショックだった。
俺はココアを一気に飲み干して立ち上がると、早口で礼を言って席を立った。
走った。
押し潰されそうな人込みの中を、わけもわからずに逃げた。
こんなにたくさんの人がいて、たくさんの顔があるのに、浮かぶのはあいつの、レイの傷付いた顔だけだった。
走って、先のことも考えずにとにかく走って、急に二の腕を掴まれて、我に返った。
「痛っ……」
あまりの力に顔をしかめながら振り向くと、レイがいた。
前屈みになって、苦しそうに肩で息をしていた。
「え……」
追って、来た?
なんで?
「つかまえたっ」
呼吸を整えながらそう言って、でも俺の腕を強く掴んだままその場にしゃがみこんだ。
「おまえ、見かけによらず、足はえーよ」
「すげぇ、誰もいねぇのな」
ひとしきり落ち着いてから、レイは立ち上がって辺りを見回しながら言う。
気がつけば、人込みからは離れて、元旦でシンとしたオフィス街まで走って来てた。
こんなに周りが見えなくなったのは初めてで、落ち着けば落ち着くほど自分がわからなくなった。
レイは俺の左手を強く握りしめて、ゆっくりと歩き始めた。
俺は黙って、その手に引かれるまま半歩後ろを歩いた。
男2人が手を繋いで歩くなんて、端から見たらおかしいんだろうけど、きっと俺は小学生にしか見られてないだろうから、誰も変だなんて思わないんだろうね。
でも俺は、どう見られたいと思った?
「知哉」
ふいに、落ち着いた声が降ってきた。
見上げると、真剣な綺麗な眼が俺を見ていた。
なぜか、あの日ベランダで追い返した時の背中を思い出した。
「ごめんな」
この言葉が何に対していってるのかはわかった。けれど、俺には謝ってもらう権利なんてない。傷つけたて、逃げた。卑怯なガキで、大バカだ。
でも、俺はこんな時なんて言えばいいのかわからなかった。
許すとか、謝るとか、そういう事じゃないような気がした。でも、それがなんなのかわからない。
だから、レイの澄んだ眼差しがなんだか痛くて、俺は何も言わずに俯いてしまった。
その時、左手に感じる力が弱くなった。
離れる。
そう思った瞬間、俺はその手を強く捕まえていた。
離さないように、俺から離れないように。
離れたくないと思った。
好きだと、思った。