お題SS

同級生

 どうだっていい。
 それが、口癖みたいにいつも思うことだった。
 別に、何がどうなったって、俺には関係ない。
 俺がどうなったって、誰にも関係ない。

 もう本能みたいにそう思っていた俺の、その虚無感を埋められるなんて、思っていなかった。

「なあ、おまえマジで中1? 12歳なん?」
 彼は、入学式の日そう声をかけてきた。
 ぶかぶかの制服を着て、悩みごとなんて何もないようなからりとした顔。たいていクラスに1人はいる、うるさいお調子者だ。
「ああ」
 よく聞かれるから、別に驚かなかった。
「うっそだ~。どう見ても高校生だろっ。その顔は12歳の顔じゃねぇ!」
 初対面の人間に向かって、ずいぶんと失礼なことを言う奴だと思った。
 そっけなく無視すれば、いつもの奴らと同じように勝手に去っていくと思った。
「じゃあさ、小学校は? どこ?」
 けれど、そいつは楽しそうに俺に話しかけてきた。
瑛徳えいとく
 無表情でそう答えてやると、目を丸くして驚いたようだった。
 まあ、この辺じゃ誰もが知る名門校だから当たり前だ。
 すごいとか、なんでこんな市立中に入学したかとか、そんな会話になる。
 答えなければよかったと、少し後悔した。けれど。
「まじぃ!? おまえ、あんなダッセェ制服6年も着てたのか。エライな~! 俺にはぜってぇ着れねーよ」
 どこか論点のずれた言葉に、驚いた。
「いかにも『ボクはお金持ちで良い子です』みてーで、サイアク趣味わりぃよ」
 たぶん、本気で思ってるんだ、こいつは。
 顔ににじみ出ている。
 名門に入れなかったひがみとか、妬みとかじゃなくて、本気で。
 なんて言えばいいか、分からなかった。
 今までこんなふうに言う人間はいなかったから。
 俺が何も言わずに黙ったままだったからか、彼は急に表情を曇らせた。
「あ……おまえ、3月までその制服着てたんだったな……わりぃ」
 え……違う――。
 そう否定しようとしたけれど、言葉にならなかった。
 どうやって言えばいいか、わからなかった。
 一瞬の気まずい沈黙のあと、チャイムが鳴って、ホームルームが始まってしまった。

 否定できなかったことが、ずっと心残りだった。
 彼に誤解されたままだということが、なぜか無性に嫌だった。
 たぶん彼は、俺を怒らせたと思っている。
 本当は、そんなことはなかった。彼は、今まで俺に話しかけてきた人間の中で、一番……一番、本心だったんだ。
 嘘も、見栄も、嫉妬も羨望も、そんなものなんて微塵もなくて。

 どうやって言えばいい?
 なんて言って、誤解を解けばいい?

「あのさ、さっきは、ごめんな」
 次の休み時間、そう言ったのは、彼だった。
「え……?」
 驚いて見上げると、気まずそうに頬を掻いていた。
「別に、お前を悪く言うつもりはなかったんだ。俺、なんか人のこと考えないでズケズケ言っちまうんだよなぁ」
 困ったような、自分を責めるような言い方だった。
 なんて言えばいいのか、また分からなくなった。

 家政婦がミスして謝った時は、無視してやった。
 いつもいない両親が、俺の誕生日に仕事が入ったって謝った時は、適当にあしらってやった。
 どうでもよかったから。
 でも。

「俺は……」
 なんて言えばいい?
 どうしたら、伝わるんだろう?
「俺は……おまえと同じだったから」
 ぼそ、っと口をついた言葉は、自分が思っていたよりもずっと意味のわからない言葉になってしまった。
 どうしてうまく言えないんだろう。
「あ? 何が?」
 言い方は乱暴だったけど、彼は真剣な目をして、俺の視線に合わせるようにしゃがみ込んだ。
「だから……サイアク趣味わりぃ、ってのが」

 これが、精一杯の訂正だった。
 どうでもいい相手には、すらすらと言葉が出てきた。
 自分が他人にどう思われようと、関係なかったから。
 だから、否定の仕方なんて知らない。
 自分の思いをどうやって伝えるのかなんて、知らない。

 けれど彼は、パッと顔を明るくさせた。
「だろ? そうだろ? あの蝶ネクタイが特にサイアクなんだよ」
 顔一杯に笑みを浮かべて。

 嬉しくなっていた。
 俺の気持ちが伝わったんだと、生まれて初めて思った。

 

 

「なあ、おまえ、なんであん時俺に話しかけてきたん?」

 あれから5年。
 俺とそいつは、まだつるんでいる。
「あ? いつ?」
 深山は、陸上部の使い古されて歪んだロッカーのドアを、無理やりガンッと叩きつける。力ずくなんかで閉まるわけもなく、ドアは無残に跳ね返された。
「だからさ、中学の入学式ん時」
 深山は俺を見て少し不思議そうな顔をした。そして、当たり前のような口調で。
「そんなん、目立ってたからに決まってんじゃん」
「目立ってたから?」
 確かに目立ってたのは否定しないけど、だから話しかけられたとなると軽すぎるような気がする。
 俺とおまえの関係が、そんな薄っぺらいところから始まったとなると。
「そりゃあ、他のクラスの女子までギャーギャー言いながら見に来てたし、どっかの御曹子だとか、オヤジがどっかの社長だとか、みんなそんな噂ばっかりしててさ。でも、誰も話しかけねーだろ? だから、俺がイチバン乗り、とか思って」
 悪びれもなく、ニカッと笑った。
 俺がこの笑顔に弱いんだと気づいたのは、つい最近だ。
「ふ~ん」
 そっけない返事をしながらも、そこに他意のない顔を見れたことで、俺はどこか安心していた。
 深山にとっては、あれは本当に自然な行為だったんだろうな。

 でも結局、出会いがどうであれ俺がこうして人間らしくここにいられるのは、間違いなくこの、うるさくて強引で空気読めないくせに、嫌になるくらい優しい同級生がいたからだ。
 深山がいたから、俺は少しずつ、変化していけた。
 わざわざ口に出して言うことじゃねーけど。
 そんなことを思いながら、未だにロッカーと格闘している深山を眺めた。

 それから、少しして。

「それにさ、なんか話しかけて欲し気だったからさ」

 話しかけて欲しかった? 俺が?

 ああ、そうか。
 あの時の俺は、寂しかったのか――――…………。

 それを、まるで本能みたいに見抜いちまうコイツには、たぶん俺は一生敵わない。

 一生、叶わない。