始まりの日 番外編(2009/04/08UP)

第2部「赦罪」2話の後くらいの話。
入院中の尾形とお見舞いに来た足利さん。尾形目線です。

尾形澄人

 あまりにも暇だから、携帯OKの共有スペースで相沢に悪戯メールを送っていると、俺の正面に誰かが座る気配がした。
 顔を上げると、足利さんがニヤニヤして座ったところだった。
「お~、ラブメールか?」
 ラブメールって…………この寒い単語を躊躇なく口にするところは、さすがというか。
「何しに来たんですか?」
「おまえの見舞いに決まってるだろ。手ぶらだけど」
「それはどうも」
「つれないなぁ」
「足利さんの本性、知ってますから」
「おかしいなぁ。俺の代名詞は『裏表のない男』なんだけど」
「5面ってことですか」
「はははは、ぜいぜい3面にしてくれ」
 そう言って、窓の外の夕焼けを眺めた。
「にしても、いい天気だったのに入院なんて、寂しいなぁ」
「別に。入院してなかったら仕事ですから」
「まぁな。おまえ、彼女いるのか?」
「なんですか、いきなり」
「いや、そんな怪我したら心配するだろうと思って。まぁ、その前に親が心配するか」
 そういえば親に連絡するの忘れてたな……。
「あ、そうだ。おまえ医師免許持ってるんだって?」
「は? 誰から聞いたんですか?」
 杉本さんが言うはずない。科捜研の人間――日比野弟か。
「誰だったかなぁ。なんか、噂になってるぞ。科捜研・尾形澄人の知られざる過去ってな感じで」
「知られざる過去? なんか、物凄く嫌な予感がするんですけど……」
「医師免許を2年で取得したとか、レクター博士のモデルになった快楽殺人鬼をアメリカ政府の依頼で更生させたとか、実は父親がアラブの石油王とか、そんなところか」
「なんですか、そのめちゃくちゃな噂は…………」
 だいたい俺の実の父はあんたの上司だ。言えないけど。
 足利さんはケラケラと完全に他人事にして笑った。
「うちの連中は想像力が豊かだってことはわかったな。それはそうと、一昨日、雨宮雅臣の教え子って言ってた高校生に会ったぞ、偶然」
 雨宮に?
「どこで?」
「日比谷公園。昼飯食って散歩してたら、偶然会ったんだけど、なんか疲れた感じだったなぁ」
「疲れた感じ?」
「そ、目にクマなんか作っちゃって。あんな壮絶な現場目の当たりにしたんだから、さすがに精神的にショック受けたんだろうなあ」
「外に出歩いてるんだったら問題ないですね」
 素っ気無く答えながらも、内心気になって仕方なかった。
 目にクマ……朝4時に電話がかかってくるのは、やっぱり眠れないからなのかもしれない。
「なぁ、あいつ、本当に雨宮雅臣の教え子か?」
「さあ」
「さあって、やっぱり違うのか。なーんか怪しいと思ったんだよなぁ。ま、怪しいっつっても事件には絡んでないだろうが、教え子なんてレベルじゃあないだろ?」
「気になりますか?」
「当たり前だ。あんな現場にいた人間を気にしないほうがどうかしてる」
「あいつはだめですよ、俺のものですから」
「ははははは。もうヤッたのか。医者は手が早いって本当だったんだな」
「なんですか、ソレ」
「鑑識の神田が言ってた。医者は他人の体に触ることに抵抗感がないからすぐに手を出すってな」
「すっげぇ説得力のある偏見ですね…………まぁ、上手いのは確かですけど」
「入院してちゃ発揮できねぇだろ。その怪我が治るまでひとりでシコシコやってろ」
「あいにく、病院でも相手には困らないんで」
「腹立つなぁ」
 苦い顔をして俺を睨む。
 けれど、すぐに姿勢を前のめりにして。
「で、実際のところどういう関係なんだ?」
 …………神田に似てるな、この人。
 男のクセに他人の人間関係に人並み以上の好奇心で迫ってくるって、どうかと思うよ。
 けど、悪い気はしないのは、そこに悪意や卑下がないからかもしれない。
 単純に人間が好きなんだろうな。

「足利さん、ヤマアラシのジレンマって知ってます?」
 そう切り出すと、足利さんは眉間に皺を寄せた。
「なんだ、それ」
「2匹のヤマアラシのカップルが寒さをしのぐためにくっついて暖め合おうとするんだけど、近づくとお互いの体中にあるトゲが刺さって怪我する。でも離れていたら温まることができないっていう話です」
 元々童話から発展した例えだけど、心理学では有名な話だ。
「『痛みなくして、得るものなし』ってことか?」
「そういう解釈もアリかもしれませんけど、過程の話です。ヤマアラシたちは、体を温め合おうとする度に何度も互いのトゲで傷付けあってしまう。けれどそのうちコツを掴んで、怪我もしないし暖かくもなれる距離を見つける」
「ほぅ、人間関係に置き換えられるってわけか」
「そうです。じゃあ、ここでいうヤマアラシのトゲって、なんだと思いますか?」
「トゲ? うーん……欲とか利害とかか?」
「ははは、殺人事件専門の刑事目線だとそうなるんですね。でも、違います」
「じゃあ何だ?」
「答えは、『無意識』です。ヤマアラシのトゲは、自分が持ちたいと思って備えたものじゃない。生まれたときからトゲが生えてる。つまり、自分は望んでいないのに、愛する人を傷付けてしまうトゲを生まれつき持っているんです」
「なるほど。自分でも気付かないうちに相手を傷つけて、お互いの愛情が深ければ深いほど、その痛みも深い」
「でも俺は無意識ってのが気に入らないんですよ。意識的に虐めてやらないと意味がない」
「ははは、やっぱりおまえSだったんだな」
「そうですよ。それなのに、あいつは体を温め合おうともしない」
「そもそも寒くないとか?」
「いや、絶対に寒いはずですよ。-40度の極寒にいるはずです。それなのに誰とも肌を寄せ合おうとしない」
 それはどうしてなのか。
「傷付きたくない、か。ありがちだな」
「ムカつくぐらいありがちですね。自分さえ寒さに耐えれば誰も傷付かずに済むって本気で思っている、ジレンマ以前の問題。相手も寒いってことに、気づいてもいない。だから、俺が無理やり近づくしかないんですよ」
「つまり、尾形が一方的に攻めてるってことか」
「そーゆーことです」
 にっこり笑って言うと、足利さんは呆れたように溜め息をついた。
「この分だと、あいつの正体は教えてくれそうにないな。ま、簡単に答えが分かっても面白くねぇしな」
 そう言って席を立つと、腕時計で時間を確認しながら続ける。
「あの子を落としてーなら、さっさと退院することだな。凍死しかけてたぞ」
 そうニヤリと笑って、スタスタと去って行った。

 また、あいつはひとりで寒さを耐えているのか。
 想像はしてた。

 退院は明日なんだけど。
「我慢できそうもないな…………」