始まりの日 番外編(2010/04/15UP)
出逢い - 2
第2部「赦罪」赦罪」に登場する三並敦志×坂崎悠真の話です。本編の4年前。
このお話は三人称です。
顔を広げるために来ただけだったが、久しぶりに面白い男を見つけ、三並敦志は上機嫌だった。
国会議員・鹿島弘一の政治資金パーティーの会場の片隅で、せわしなく来場者に挨拶周りをする若い男をしばらく目で追った。
鹿島の秘書なのだろう。物腰の柔らかい、けれども人の心を読むような眼差しが印象的な男だ。
三並は手にしていた飲み物をテーブルに置いて、ゆっくりと彼の背中に歩み寄った。
そして、彼が1人になった瞬間を見計らって、肩を叩く。
振り向いた誠実そうな顔は、直後に固まった。
「さっきはどうも」
三並はそう言って、営業用の笑みを浮かべた。
「鹿島の秘書をしております坂崎と申します。この度はわざわざお越しいただいて、ありがとうございます」
黒皮のカードケースから名刺を差し出しながら自己紹介する坂崎は、あくまでも秘書の顔を崩さない。つい数十分前ホテルの廊下で会った時とはまるで別人のようにそつなく挨拶をした。
このビジネスライクな名刺交換を切り出された時点で、さっきのことはなかったことにしろ、という坂崎の無言のプレッシャーを感じた。
確かに、こういう場には相応しくない話題だが、それ以前にこの秘書には性的な話はタブーなのかもしれない。
「セブンスフィア専務取締役の三並です」
坂崎は差し出された名刺を受け取りながらその名前を聞いて、驚いたように顔を上げた。
そんなに驚かれるような肩書きでも会社でもない。まだ上場前の、しがないベンチャー企業だ。
「何か?」
尋ねると、坂崎は照れたように笑った。
「いえ、以前にどこかでお会いしたような気がしたのですが、気のせいですね」
「そうですね。あなたのような美人に会っていたら忘れるわけがない」
冗談交じりに言ったのがいけなかったのか、坂崎の得意の笑みで「女性じゃありませんよ」と、さらりと流された。やはり、この手の話題は受け付けないらしい。
坂崎は受け取った名刺をチラリと見て、ごく自然に話を戻す。
「失礼ですが、どなたからのご紹介でしょうか?」
「弊社とお取引をさせていただいてるシーライトコスメティクスの内藤社長から、ぜひにと」
「そうですか。内藤社長は鹿島と地元が同じで、選挙前にはいつもお世話になっております。また1つ恩ができてしまいました」
マニュアル通りの返答をして、上品に笑った。優しいが、癒し系とはまた違う聡明さがある。
社交辞令にしてはいい笑顔だなと思いながら、三並は会場内を見渡して当たり障りのない話題を振る。
「それにしてもすごい人ですね。パーティー券を買うだけで来ない人も多いのに」
パーティー会場となっている一流ホテルの大広間には、立食パーティにも関わらず大勢の人でごった返し、人数の割りには量が少ないビュッフェ形式の食事はほとんど空になっていた。
「ええ、この不況の中、本当にありがたいことです」
建前めいたことをしみじみと言うなよ、と顔にこそ出さないが、このとき初めて批判的な目で坂崎を見た。
大学を出たばかりの秘書が本当にそんなふうに思っているとは到底思えない。
「やっぱり政治には金がかかるんですか?」
思わず意地悪な質問をすると、坂崎は冗談を聞くように笑って三並を見た。
「ふふふ、当人の秘書にずいぶん直接的なことを聞くんですね」
その反応に、楽しくなった。
まだ学生気分の抜けない新人だと思っていたけれど、どうやら間違っていたらしい。都合の悪い話題を交わす方法を、しっかり身に付けている。
少し、試してみたくなった。
「このパーティー券が1口3万。今日はどうみても1,000人以上は来てる。ここにいる人間だけで3千万獲得ってわけだ。1日でそんなに稼げるなんて、ボロイ商売だなと思って」
どうせ政治資金なんて名ばかりの金儲けで、半分以上は鹿島の懐に収まるんだろう。そう思っていることを隠すこともなく、あえて批判めいた口調で言う。
けれども坂崎は真顔で三並を見返した。
「そうですね。今回のパーティーは粗利でも5,300万円になりますし、納税の義務もありませんから」
驚いた。
こんなにあっさりとタブーを口にする秘書がいるのか。いくら公開する義務があるとはいえ、そういう生々しい話を堂々とする人間はいない。
けれど、面白い。
「で、その金はどこに消えるんですか?」
さらに痛いところを突いてやると、坂崎はにっこりと厭味にならない程度の笑みを浮かべた。
「新聞記者みたいなことを聞くんですね。そういう話は、別のところでしませんか」
「たとえばホテルの一室とか?」
さっき見たことを暗にほのめかしてニヤリと笑う。別に深い意味はなかった。さっきのようにさらりと流される類の、ちょっとしたブラックジョークだ。
けれども、坂崎はすぅっと目を細めて、訝しげに首をかしげた。
「…………何がお望みなんでしょうか。確かにセブンスフィアの紺野社長からは民自党にかなりの額の寄付をいただいてましたが、その見返りをと――――」
「いや、すまん。悪かった。そういうつもりじゃないんだ」
慌てて坂崎のその先の言葉を打ち消した。
こんな話をしているところを誰かに聞かれでもしたら、会社の信用に関わる。火のないところに煙が出る世界だ。もちろん坂崎もそれを分かっていての発言なんだろう。
「気を悪くさせたんだったら謝るよ。すまなかった」
もう一度改めて謝罪すると、坂崎は仕方なさそうに笑った。
「でしたら、人を試すような話はなさらないでください」
まるで楽しい悪戯をした子供をたしなめるように。
この男は、一筋縄ではいかないタイプらしい。
「そこは一応否定しておきたいんだけど、俺は試したわけじゃない。純粋に、坂崎さんと話してみたいと思っただけですよ」
純粋に、と強調する。
本当のことだ。
それなのに、坂崎はクスクスと笑った。
「口説いているみたいですね。そんなに必死にならなくても大丈夫ですよ」
確かに誤解されたくないという思いはあったが、そんなに必死に見えたのだろうか。
だったら、今さら遠まわしに言うのもバカバカしい。
かと言って、さっきの様子だと同性愛には拒否感があるみたいだ。慎重に言葉を選ぶ。
「そりゃ、誤解されたままというのは気分が悪いですから。それに、せっかくお会いしたのにその場限りの話をするなんていうのは寂しいじゃないですか。誰であれ、人との繋がりは大切にしたいですから」
あくまでも友達として、というニュアンスを込めて言う。
「確かに、交友関係が広そうですね」
坂崎の素直な感想なんだろう。嫌味なくそう言う。
それから、少し考えるような間を作った後、思いついたように三並の目を見た。
「では、こうしませんか? もし1ヶ月以内にどこかで偶然会うことがあったら、その時は何かのご縁があったということで、個人的にお食事でもしましょう。けれども、1ヶ月経っても会うことがなければ、それまでです」
また驚いた。
まさか、人付き合いに忠実そうなこの男が、こんな軽いゲームをするとは思わなかった。
実はかなり遊び慣れているんじゃないか、という疑惑が生まれる。けれど、それ以上に坂崎悠真という男に惹かれた。
「面白い話ですが、私があなたに会う気になれば、いくらでも会えますよ。鹿島先生のスケジュールは簡単に手に入りますからね」
「それなら大丈夫です。私は日ごろほとんど鹿島と一緒には動いていないんです。政策秘書ですから、もっぱらデスクワークなので」
つまりこの勝負は限りなく坂崎に有利にできているのか、と内心納得しながら、それでも三並は勝つ気でいた。
「なるほど。じゃぁ、今日お会いできたことだけで、実はかなり運がいいってことですね」
バカみたいに前向きなところを見せる。こういう根拠のない自信というのは、相手を不安にさせてミスを呼ぶ効果があるというのが三並の持論だ。
「わかりました。その賭けに乗りますよ」
坂崎の眼を見て応戦すると、坂崎は聡明な笑みを浮かべる。
「では、1ヶ月後にお会いしましょう」