始まりの日 番外編(2009/01/24UP)

餞別

第2部「赦罪」3話の尾形の話。

2008年8月

 ナースにばっさりと切り捨てられるように叱られてから、私物を紙袋に詰め込んだ。
「尾形さん、度胸あるねぇ。やっぱりコレかい?」
 日に焼けた丸い顔をにんまりとさせて、隣のベッドのオヤジが小指を立てた。
 俺が夜中に病院を抜け出した理由のことだ。
「まぁ、そんなところ」
 ニヤッと笑って応えると、オヤジは寅さんみたいな調子で隣のベッドに入院している高校生に相槌を求めた。
「カーッ! 若いっていいねぇ!」
「はぁ……」
 彼はちらりと俺を見ると、さっぱりとした短髪の頭を掻いて、少し気まずそうにうつむいた。トイレで俺と雨宮を目撃してしまった、あの高校生だ。大学生にも見えるガタイの良さとは裏腹、わりと恋愛ベタでシャイな感じの高校生。
 オヤジの言う「コレ」が女じゃなくて男だって分かってるから、自分が悪いわけじゃないのに、落ち着かないんだろうな。ちょっと意地悪してやろう。
 松葉杖で彼に近づくと、肩を緊張させて構えるのが俺でもわかった。
深山みやま 君、これ餞別」
 半分以上残っていたプリペイドカードを渡すと、一瞬だけ驚いたみたいに手元のカードを見た。それから、恐る恐るそれを受け取って。
「……賄賂ですか?」
「ははは、もう来ないのに?」
「でも立花先生とさっき連絡先交換してたし……」
 確かに、立花さんとは気があって連絡先を聞いたけど。ま、トイレであんな現場見られてるし、俺が立花さんを口説いてるとでも勘違いしてるわけか。
 それに、こいつは絶対に。
「ふーん。じゃぁ、男の口説き方、教えてやろうか?」
「は? い、いいよっ。なんでそうなるんだよっ。俺はホモじゃねーしっ」
「『俺は』って、ほかにホモがいるの?」
 低い声でじろりと睨みつけると、深山君はサーッと青ざめて。
「あっ――いや、今のはナシっす! 誰にも言いませんっ」
 やばい、コイツ面白い。
「ククッ、おまえ本当にバカだよな」
「……………」
 口じゃ勝てないと思ったのか、黙って悔しそうに俺を睨む。それからカードを見て差し出した。
「これ、返します」
 なかなか強気に出たな。
「意地っ張りだなぁ。この部屋で一番若いからやるってだけだよ。裏なんてないから安心しろって」
 仕方なく折れると、深山君は俺の真意を探るように何か考えて、それからカードを持った手を下ろした。
 雨宮とはまた違った意味で疑い深いというか、負けず嫌いというか。
「……ありがとうございます」
 律儀に礼を言って、それでもまだ訝しげに俺を睨んでいる。感情を隠す方法が全然身に付いてない。雨宮と1歳違いとは思えない。
「もしまた会うことがあったら、その時はヨロシクな」
 ポンポンと肩を叩くと、彼は引きつった笑顔を返した。

 この時言った言葉が現実になるのは、それから1年後のことだった。