始まりの日

記憶 - 14

杉本浩介

奥田和繁おくだかずしげだな、永和会の不正の黒幕」
 首都高に乗ったところで、尾形が「ハラ減ったな」とでも言うテンションで、唐突に重大発表をした。
「奥田和繁って………民自党の幹事長のか!?」
 幹事長と言えば、事実上党のトップ。次に総理になってもおかしくないような超大物議員だ。
 思わず高速だということを忘れて助手席の尾形を見そうになっってしまった。
「おいおい、根拠はなんだ。そんな大物が暴力団に金を横流ししてるなんて、捜査するだけでクビ覚悟だぞ」
 大袈裟でも何でもなく、だ。けれども尾形はそんなことは大した問題じゃないとばかりに「興奮するなよ」と呆れながら続けた。
「永和会って、奥田の父親が立ち上げた派閥なんだよ。もちろん奥田自身も永和会の幹部だ」
「それだけじゃ黒幕とは言えないだろ」
「あたりまえだろ。この前、奥田が火炎瓶で襲撃されたの知ってる?」
「ああ、そういえば………確か犯人は右翼関係っていう噂があるが――――、ん?」
 ちょっと待て。おかしくないか?
 都内のほとんどの右翼団体は皆川会と繋がっている。特に政治家に対して、右翼と皆川会は同盟関係にある。つまり、右翼が、皆川会の味方を攻撃するはずがない。
「皆川会が永和会から金を受け取っているのに、右翼はその永和会幹部の奥田を襲撃するなんておかしいんじゃ………?」
 視界の隅で尾形がニヤリと笑うのが見えた。
「噂は噂でしかなかったってことだろ」
「火炎瓶を投げたのは右翼じゃないってことか?」
「そ。俺も最初は奥田の最近の発言や公安三課が動いていてるって情報から、右翼による軽いテロだと思った。でもテロだったら犯行声明か、少なくともそれに近い物が出るはずだ。それなのに2日経ってもそれらきものは出てこない。
 それで、さっきの坂崎さんの話を聞いてピンときた。公安が探っていたのは襲撃事件じゃなくて、奥田と皆川会との繋がりだったんだよ。それなら相沢が川井の側近の高橋幸二を知っていたことも腑に落ちる」
 なるほど。すでに公安三課が永和会と皆川会の不正を捜査していたところに、今回の襲撃事件が重なって、右翼によるテロという間違った噂が流れたということか。十分考えられるな。
「戻ったら二課に奥田和繁について聞いてみるか。裏を取れるかもしれない」
「それと川井の所在も。一応、組対に何か情報が入ってないか聞いてみて」
「ああ、わかった」
 組対―――組織犯罪対策部は、暴力団などの組織的な犯罪を専門とする部署だ。何か情報を掴んでいる可能性もある。

 それにしても。
「どうしてさっき坂崎に奥田和繁のことを言わなかったんだ?」
 派閥の幹部なら、坂崎も容疑者の一人だと考えているはずだ。坂崎の見解を聞いておいて損はないと思うが。
 そう思って聞くと、尾形は窓枠に頬杖をついて、呆れたように溜息をついた。
「あのさ杉本さん。命をかけて復讐したような奴だよ、坂崎さんは。しかもその傷がまだ癒えてない。そんな人間に、父親同然の男を殺した犯人が誰なのか特定できるような話、簡単にできるわけないだろ。今日だってたぶん、かなり無理して話してくれたはずだ」
「無理してたのか? あれで?」
 政治家らしい溌剌はつらつとした生気こそなかったけれど、俺には穏やかな自然体に見えたが。
「坂崎さんは、人のために平然と自分を犠牲にする人間なんだよ。それこそ息をするようにね」
 息をするように自分を犠牲にできる? そういえば、尾形は坂崎のことを献身的だとも言っていたが、その辺の認識がどうも腑に落ちない。
「あんな不幸な人生だったのに、そんなに優しい人間に育つか?」
「逆に、その誰もが不幸だと言う人生のせいで、聖人みたいな人間になったんだと思うけどね」
「そりゃまぁ、悲しい思いをして人は優しくなれるっていうのは分かるが…………」
 と言うと、尾形に軽く鼻で笑われた。
「浅い、浅すぎる。子供用プールくらい浅い」
 いちいちムカつくな。
「じゃあどういう意味だよ」
 横目で睨みつけたが、尾形はそれをあっさりかわして、静かに正面を向く。
「坂崎さんは不幸すぎたんだよ。目の前で母親を実の父に殺されただけじゃない。それを誰にも言えず、父親への激しい憎悪をさらけ出すこともできなかった。当時坂崎さんの追った傷の深さと、周囲の人間から見た傷の深さには、雲泥の差があっただろうね。だからきっと坂崎さんは、誰からも理解されない孤独と必死で戦っていた。幼い子供にとって、想像を絶する孤独だと思うよ。そんな子供がさ、心が満たされた事ってなんだと思う?」
 まだ世界の狭い子供が、孤独から解消されること―――そう考えて思い浮かんだのは、
「誰かに褒められることか?」
 尾形はニヤリと口角を上げた。
「おしい。感謝されることだよ」
 そういえばうちの子も、俺がありがとうと言うと嬉しそうに笑うな。
「最初は感謝されることが素直に嬉しかったんだろうね。でも、精神的に孤立していた坂崎さんにとって、その言葉の持つ意味はとてつもなく大きい。人から感謝されるということは、同時に『あなたがいてくれよかった』という意味だからね。だから坂崎さんは孤独から逃れるために、感謝されることをして誰かと繋がろうとした。そして周りの大人はそんな坂崎さんを称賛し、子供ながらに自分の行為が正しいと思い込み、ますます自分を犠牲にするようになる。20年もそうやって生きてきた坂崎さんにとって、自己犠牲なんてほとんど習慣とか癖みたいなものだ。
 つまりね、坂崎さんの自己犠牲は、自分を孤独から守るための、最高に悲しい防御なんだよ」

 流れるように話す尾形の言葉を聞きながら、ひどくやりきれない気持ちになった。
 最高に悲しい防御―――それが坂崎の本質なら、自分の命を犠牲にするという復讐方法は、当然の選択だったのかもしれない。
「もし坂崎の周りに、その憎悪や孤独を理解できる大人が1人でもいたら、坂崎は違う選択をしていただろうな………」
 そしてそれを坂崎自身が思い知っているから、今日、尾形を呼んだんだろう。
 雨宮の憎悪や孤独を理解できる、唯一の人間を。

 確かに、俺の考えは浅かった………。
 復讐を後悔していないという坂崎の表面だけを見て、もっともらしい理由で責めたてた。
「俺は、坂崎に随分きついことを言ったのかもしれない………」
 けれども。
「いいんだよ、杉本さんはそれで」
 尾形が、正面を向いたまま穏やかに言う。
「杉本さんにはそのままでいてほしいと思ってるはずだ。坂崎さんも、雨宮も」

 その独り言のような言葉を、俺はその後の刑事人生の中で、何度も何度も思い出した。

 

雨宮陽生

 面接からの帰り、自由が丘駅で電車から降りたタイミングで携帯に着信があった。
 表示された名前は深山透………って、昨日俺が倒れて意識ない間か。
「勝手に人の携帯にアドレス登録してんじゃねーよ」
 通話ボタンを押して間髪入れずに文句を言うと、電話の向こうから。
『細かいこと気にしてっとハゲっぞ!』
 俺の背後で走り出した電車の騒音をものともしない大音量で、深山の声が聞こえた。
『つーか! 家にいねーじゃん! どこにいるんだよっ。人がせっかく見舞いに来てやったのにさあ』
 見舞いって。
「おまえ、まさか自由が丘に来てんの?」
『そうだよ。杉本さんに場所教えてもらったから。っつーか、っつーかさあ! 昨日俺がどんだけ走りまわったと思ってるんだよ。先生に車出してもらって、3階の図書館から駐車場まで雨宮背負って運んで、病院に着いたら着いたで尾形さん連絡つかないから杉本さん呼んでやってさぁ。元気になったんならメールくらいしろよな。こっちだって心配してんだから』
 うぜ………。病院でちゃんと礼言っただろ。杉本さんもなんでこんな奴に家の場所教えてるんだよ。
 できれば速攻切ってやりたいけど、深山からは保険証を借りることになるかもしれないから、必要以上に関係を悪化しちゃいけない。とりあえずここは俺が大人になって、と頭では分かっているけど。
「それはどうもすみませんでした」
『うわー、こんなに心のこもってない「すみません」聞いたの生まれて初めて。見舞いに来て損した』
「そんな恩着せがましく言われて心なんて込められるか。だいたい来るんだったら連絡してから来いよ。こっちにだって予定があるとか考えないわけ?」
『あんな真っ青な顔してぶっ倒れた翌日に出かけるなんて思わねーよ。体もう平気なん? つーか、おまえ今どこ? 何時に帰ってくる?』
「おまえ、一度にいろんなこと聞きすぎ」
 って言ってるのに、改札の機械音を携帯が拾ったのか、
『あれ、駅? 自由が丘? 俺そっちに向かってるんだけど、どこ? 南口?』
 …………アホだな。
「南口だけど、―――――って、切るなよ」
 プツッと味気ない音を立てて切れた携帯をポケットに入れて、嫌な予感をひしひしと感じながら改札のむこうを見ると、予想通り、周りより頭ひとつ飛び出した深山が、無邪気に顔を輝かせて手を振っていた。
「マジでいるし………」
 改札を抜けると、待ってましたとばかりに。
「おかえり~~~。いやぁこの絶妙なタイミングといい、奇跡の再会といい、俺と雨宮って前世は双子だよな」
「たとえ徳川埋蔵金が見つかったとしても、それだけはありえない」
 くいぎみにきっぱりと否定して深山の前を横切ると、深山が俺に並んで着いてきた。
 こいつ当然のように俺と一緒にマンションに来るつもりだ。そして当然のように上がりこんで何時間も入り浸る気だ。
「でも絶対に何かあると思うんだよなー。じゃなきゃこんな短期間に何度も偶然が重なんねーよ。あ、口説いてるわけじゃないから。雨宮みたいな甘々ラブラブ真っ只中な奴口説く趣味ねーし、そもそも俺これでも別に好きな奴いるから」
 そんなこと誰も聞いてないし。だいたい甘々ラブラブじゃねぇよ。
「はいはい、そうだったな。おまえも頑張れよ」
 適当に受け流したつもりだったのに、深山はなぜかその話を広げだした。
「頑張れよって言われてもさあ、目と鼻の先に住んでるのにここ2、3ヶ月ほとんど会えてねーんだよ。あっちは社会人で忙しいみたいだし、用もないのに会いに行ってウザいとか思われるのも嫌だし、悩ましいよなぁ。ま、あっちはあっちで好きな女いるっぽいから、俺のことなんてただのカテキョの生徒としか見てねーんだけどさ………」
 遠くを眺めながら、しみじみと言う。
 少し意外だった。深山の性格から想像すると、一昨日プラカード持って俺を追いかけたみたいに相手の迷惑なんてかまわずにストーカーばりにしつこく付きまといそうなのに。っつーか、俺の迷惑もこのくらい考えてほしい。
「なあなあ、雨宮から見て俺って見込みあると思う?」
「そんなこと俺に聞くなよ。だいたい俺が見込みないっつったら諦めるわけ?」
 投げやりに答えると、深山は大げさにハッとして見せた。
「うわ、なんかそれ真理!」
「ハァ?」
「確かに、誰かに諦めろって言われて諦められるようだったら、こんな悩まねーんだよ。すげー雨宮。まさか恋愛マスター?」
「何の解決にもなってないけどね…………」
 って、なんで深山の恋愛にアドバイスしてんだよ。
「で、どこまで付いてくるつもりだよ」
 話を戻すと、深山はワザとらしく目を丸くした。
「ええ! 雨宮んち招待してくんねーの?」
「招待する必要がどこにあるわけ?」
「必要って、そう言われると必要はねーどさぁ、そこは普通『あらぁお見舞いに来てくれたの? ありがとう、よかったら上がってお茶でも飲いかが? ちょうど美味しいケーキもいただいたの。召し上がって?』って言うところだろ」
 何言ってんだよ、こいつ。
 歩く速度を速めて深山と距離をとると、深山が「ちょっとちょっと」とどっかの芸人みたいに慌てて追ってきた。
「つーか冗談抜きで心配したんだからな。昨日の川崎の話といい、矢上なんとかっていう奴のことといい、なんか胡散くせぇっつーか、怪しい臭いがプンプンするじゃん。考え直したほうがいいんじゃねぇの?」
 確かに、安全が保障されるようなことじゃない。
 そんなのずっと前からわかっているし、覚悟だってしてる。そもそも殺人犯を追ってるわけだから、自分が殺されることだってあるかもしれない。
 でも、誰かにどうこう言われて止められるようなら、俺だって苦しまない。

「深山には関係ねーだろ」
「うわ出た、関係ねー発言。面倒だからってそんな一言で片づけようとか思っても、俺には通用しねーから。だいたい関係ある関係ないとかいう話じゃねーんだって。雨宮がどう思おうが、俺が雨宮を心配してるっていう話なんだよ。それで、俺はただ心配だとか言ってるだけじゃ気がすまない性質たちだから、どんなに迷惑とかウザいとかキモいとか大きなお世話だとか言われても雨宮の力になりたいとか思うわけ」
 深山の早口な台詞を聞きながら、ずっと前に同じようなことを言われたことがあるような気がした。
 適当に相槌を打ちながら、記憶の糸をたどってみる。

 はっきり覚えてないってことは、たぶん3歳前後だ。
 誰に言われたんだっけ?
 母さんか、父さんか………。

 ――――君がどんなに迷惑がったとしても、僕は君に関わることを諦めたくない。

「雨宮?」
 ふいに深山に顔を覗きこまれてハッとした。
「え? ああ何?」
「何って…………ったく、人が真剣に話してんのにさぁ。で? おまえと雨宮総理ってどういう関係なん?」
 いつの間にそんな話になってたのか、深山はちょうど近くにあったベンチに座って、偉そうに隣を手のひらで叩いて俺にも座るように促す。
「家に入れてくれないんだったら、せめて隣に座れよな」
「どういう理屈だよ」
 ツッコミながらも、仕方なく隣に座ることにした。ムリに断って家に乗りこまれるより数段マシだ。
「で、雨宮総理とは?」
 しつこいな。
「総理じゃなくて前総理だろ。なんでそんなに知りたいんだよ」
 睨みつけながら聞き返すと、深山はごまかすように笑って、
「えーーーと、なんとなく興味あるじゃん?」
「あ、そう。知りたくないのか」
「わああああ嘘ごめん今の嘘ですちゃんと理由ありますっ」
 深山は慌てて否定すると、なぜか少し照れくさそうに目を背けて口ごもる。
「いや、えーとですね…………」
 それから、俺が想像すらしていなかったことを打ち明けた。

「実は俺の好きな人ってのが、ちょっと前に雨宮総理の秘書になりまして…………」

「―――――――え?」