始まりの日

記憶 - 13

雨宮陽生

 サラリーマンに混ざって、りんかい線の品川シーサイド駅で電車を降りた。
 地下深くにあるホームから長いエスカレーターを乗り継いで地上に出ると、カフェに囲まれた円形のテラスがあって、その中央の喫煙スペースには昼休みのせいか一服するサラリーマンが押し寄せて、ちょっとしたボヤかと思うほどの煙が立ちのぼっている。っつーかステンレスの筒状の灰皿から不完全燃焼の煙が出てるし。
 りんかい線の、それも「シーサイド」っていうからにはもっと楽しそうな場所かと思ってたけど、周囲を見回しても海なんてこれっぽっちも見えないし潮の匂いどころか、逆にタバコ臭いビジネスビル街だった。
 その名前とのギャップの激しい駅から10分弱歩いた住宅街に「はなぶさの会」を見つけた。
 グレーのマンションの1階にある、ガラス張りのテナントだ。

 はなぶさの会は、介護福祉団体にヘルパーやボランティアの斡旋や経営サポートを行う団体として2005年に発足し、2006年にNPO法人化した。地域福祉の活性化を目的とし………って、偉そうなことがサイトに書いてあったけど、実態はどうなのか分からない。
 寄付金を納めた政治家の隠し子がボランティアしてるっていう時点で、濃度の高い不正臭が漂ってる。
 ま、本当に不正があるかどうかは、矢上と仲良くなって調べればすぐにわかるんだけど。
「矢上と仲良くって、結局川崎の狙い通りじゃん」
 小さくため息をつきながら、約束の13時ぴったりに、その強化ガラスのドアを引いた。

「こんにちは!」
 入るなり、カウンターの内側のデスクにいた若い男が、体操のお兄さん並みに元気のいい挨拶をした。
 賃貸の不動産屋みたいなオフィスで、入ってすぐに白いカウンターがあって、その内側にある6人分のデスクには彼しかいなかった。
「ボランティアの面接で来ました深山です。あの、木村さんは………」
 気後れしつつ、勝手に借りた深山の名前を出すと、彼は立ち上がって俺のほうに歩み寄る。
 本名を言わなかったのは、矢上が父さんと面識があった場合、俺の名前に警戒すると思ったからだ。たとえ偶然だと気づいても、もし彼が麻布事件に関わっていたら、名前に対して無意識にでも拒否反応を起こす可能性がある。
「ああ、昨日電話くれたみな大の? 木村さん、今ちょっと出ちゃってるんだ。すぐ戻ると思うから、少し待ってもらってもいい?」
 敬語じゃないけど、これ以上にないくらい爽やかに言う。
「はい、大丈夫です」
「ごめんね。ここ座ってて。今お茶出すから」
 彼は明るく言いながらカウンターの内側から手を伸ばして俺の前のパイプ椅子を押し出した。
「それと何か身分証明できるもの持ってる?」
「え? いるんですか?」
 昨日電話した時には、そんなこと一言も言ってなかった。だから深山の名前を出せたのに。
「あれ、木村さん言ってなかった? じゃぁ、次に来るときに持ってきてね」
 そう言うと、奥ののれんの掛かった部屋、たぶん給湯室に消えた。
 身分証明か………しょうがないけど、深山に保険証でも借りるしかない。あいつなら単純だから適当に脅せばイケそうだ。というか、こうなる可能性もあるから深山の名前をかたったというのが本音だ。あいつに借りを作るのは物凄く癪だけど。

 パイプ椅子に座りながら、ぐるりとオフィスを見回した。
 壁のあちこちに手作りっぽい折り紙や絵がある。どれもお年寄りの趣味なのか、ある程度クオリティは保ってるけど、なんか垢抜けないっていうか、まぁ良く言えば素朴なんだろうけど、少なくとも俺のじいさんには縁がない趣味で、どうにも慣れない。
 特にこのカウンターに置いてある北海道土産によくある木彫りの熊のクラフトアートは………なんでこんな物を作ったんだろ。
「あ、これ90歳のおじいちゃんが作ったんだよ」
 見上げると、グラスを片手にした爽やか君がいた。
「ものすっごい老眼なのに、こんな細かいの作っちゃうんだよ。すごくない?」
 なぜか得意げに言いながら俺の前にグラスを置く。
「へぇ、そうなんですか」
 特に興味ないけど、ボランティア希望で素っ気無い返事するのもおかしいからそれなりの反応をしてみせると、爽やか君はにっこりと笑った。

 年は20歳くらいに見える。矢上剛が19歳だから本人かもしれないけど、あの奥田和繁の愛人の息子という厄介な生まれにしては、やけに爽やかでイメージが合わない。まぁ坂崎さんという前例もあるし、「周囲の評判はすこぶるいい」っていう川崎の言葉を信じるとしたらありえなくもないんだけど。
 そんなことを考えながら、デスクに戻った彼の顔を思わずジッと見てると、俺の視線に気づいて振り向くと、小さく首をかしげた。
「なに?」
「あ、いえ。どっかで会ったような気がしたんで」
 適当に取り繕うと、彼は気さくに笑った。
「ははは、俺みたいな顔、どこにでもいるよ。深山くんは、雨宮雅臣に似てるって言われない?」
「え―――?」
 あまりの不意打ちに、心臓を殴られたような気がした。
 父さんの名前が出たことよりも、俺が父さんに似てると言われたことに。
 そんなこと、一度もなかった。
「ほら、去年亡くなった雨宮総理の息子の。知ってるでしょ?」
 手元の書類に何か書き込みながら言う。
「残念だったよね。でも雨宮誠一郎は、いくら息子が死んだからって、あっさり総理辞めるなんてちょっと無責任だって思わない? 僕が総理だったら、やっぱり途中で投げ出すなんてことできないな。支持率もよかったしさ。そう思わない?」
 何も知らないくせにペラペラと自分の意見を誇示するみたいに、俺に同意を求める。
 世間はみんなそう思ってる。同じ与党の政治家でさえも、仕事を途中で投げ出した無責任な人間だと批判している。総理大臣という責任はそんな程度で投げ出さしていいようなものじゃないって俺も思っているし、きっとじいさんも分かっていたはずだ。
 それでも、じいさんはあえてその道を選んだ。
 俺を育てるために。俺の親代わりになるために。
 俺はその事実を、忘れちゃいけない。
「そうかもしれないですね。俺には親の気持ちは分からないから、何も言えませんけど」
 そう返すと、彼は驚いたように俺を見た。
 初対面の人間に反論めいたことを言われるなんて思わなかったのかもしれない。
 それから、すっとまた書類に視線を落とす。
「…………確かに、僕も子供はいないけど」
 さっきと同じ人間とは思えないくらい暗く弱い声で、そう呟いた。

 話していて気づいたのは、彼の言葉のほとんどが疑問系だったこと。
 疑問系なのに、確実に共感を求める口調だ。それなのに、否定されると自信をなくす。

 こいつ一見爽やかだけど、実は根暗なんじゃないか?

 それが、矢上剛の最初の印象だった。

 

尾形澄人

「で、なんで雨宮には内緒なわけ?」
 後部座席に座りながら、反対側から乗り込んだ坂崎さんに聞くと、坂崎さんは両手で持っていいた厚さ10センチはある青いキングファイルを膝の上に置いて、ごく柔らかく答えた。
「雨宮君が復讐をしたいと言ったら、僕にはそれを否定することができないから」
「………ふーん」
 雨宮がすぐにでも復讐できるほど確実な情報を握っているってことか。それが鹿島弘一絡みの話で、その膝の上の分厚いファイルの中身なんだろう。
 けれど、そんな情報を8ヶ月間も隠し続けてたのは雨宮が理由じゃないはずだ。それを俺が聞くより早く、
「坂崎さん――――」
 助手席で、ルームミラー越しに様子を見ていた杉本さんが、体をひねって坂崎さんに向き合った。
「坂崎さんは復讐したことを後悔していないんですか?」
 あの復讐を悔いて、雨宮を止めるべきだ。そう責めるように言う。
 まぁ杉本さんらしい角度からの意見だけど………単刀直入すぎるだろ。仮にも精神病で入院してる患者だぞ。
 けれども、坂崎さんは特に動揺することもなく、静かに微笑んだ。
「ええ、後悔なんて一度もしたことはありません」
「あのまま死んでもよかった、ということですか?」
「今は生きててよかったと思っています。でも、少なくともあの復讐をしていなかったら、こうは思えていなかったでしょうね」
 坂崎さんは杉本さんの目を見て、どこか余裕さえ感じる表情で答えた。

 ただ、坂崎さんが今そう思えるのは、敦志が坂崎さんを見捨てなかったからだ。
 敦志が坂崎さんを赦さなかったら、こんな穏やかな顔で「後悔してない」なんて言えないはずだ。もちろん坂崎さんもそれを分かっていて、こんなふうに言っているんだろうけど。
 確かに、雨宮を連れて来なくてよかったな。

「でもあなたは三並さんや尾形、それに雨宮も裏切ったことになるんですよ。たとえ周りがあなたを責めなかったとしても、あなただけは自分の罪を正当化してはいけないと思います」
 珍しく厳しい言葉で、子供の間違いを正すように、まっすぐ坂崎さんを見据えて言う。
 坂崎さんは、少し虚をつかれたように杉本さんを見つめて、直後、口を固く閉じて視線を落とした。

 杉本さんの言うことは正論だ。
 当事者でない人間は、復讐を否定し、死んだ人間よりも生きている人間の気持ちを考えろと言うのが普通で、それが健全な考え方だ。それに、杉本さんがこんなふうに問い詰めるのは、坂崎さんを思ってのことだってこともわかる。
 それでこそ杉本さんだし、むしろ杉本さんにはそうであってほしい。
 でも、正論であればあるほど、傷は深く抉られる。

「杉本さん、その辺にしておけよ」
 ニヤッと笑ってなだめると、杉本さんは少し眉を寄せながらも細かく頷いた。
「あぁ………そうだな。すまない」
「いえ、おっしゃる通りですから」
 そう答えた坂崎さんは、もういつもの穏やかな顔に戻っていた。
「そんなことよりさっさと本題に入ろうか」
 話を促すと、坂崎さんはまっすぐ俺と杉本さんを見た。
「ええ。鹿島が殺された件で、お話していないことがあります」
 やっぱりな。
 雨宮には話せない鹿島弘一の殺害の話―――坂崎さんは、鹿島殺しと麻布事件は繋がっている、そう確信しているんだろう。
「殺された、つまり自殺ではないというんですね?」
 杉本さんの基本的な確認に、坂崎さんはしっかりとうなずいた。
「そうです。僕には鹿島が自殺するなんて到底考えられなくて、誰かに殺されたんだと思いました。だからどうして鹿島が殺されなければならなかったのか、僕なりに調べたんです」
 坂崎さんは冷静に、商談でもするように話を続けた。

「実は鹿島が殺される2ヶ月ほど前、民自党の議員が不正を行っているという匿名の密告がありました。これはあくまでも僕の推測なんですが、鹿島はそのことを調べていくうちに命を狙われるような重要な秘密を知ってしまったんだと思うんです」
 殺されるほどの秘密、か。
「亡くなる2ヶ月前というと、一昨年の4月頃ですね。密告というのは?」
 杉本さんがいつものノートにメモを取りながら、いつもの聞き込みの一環のように聞く。
「鹿島の地元の事務所に電話がかかってきて、後援会のボランティア職員が受けたそうですが、女性の声で『民自党の後藤久幸議員が私設秘書の給与を不正計上している』と言っていたということです」
 って、サラッと言うけど、疑問符が湧きまくりだ。
 その疑問符の一番どうでもいいところを、杉本さんが眉間に皺を作りながら俺を見て聞く。
「後藤久幸? 知ってるか?」
「テレビで名前聞いた覚えがあるくらい。新人だろ」
「ええ、岩手4区の1年生議員です」
 坂崎さんは病室から持ってきた青いファイルを広げ、慣れた手つきで留め金を外して1枚のコピー用紙を抜き取ると杉本さんに差し出した。
「2007年の衆院選で初当選、元岩手県議か。まだ35歳か」
 後藤久幸のプロフィールでも書いてあるんだろう。杉本さんはさっと目を通してそう呟いた。
 そんなことよりも。
「つーか、不正したのが目立たない議員だったとしても、与党の議員の不正をタレこむなら普通は野党か検察にすべきだろ。なんで同じ党の鹿島さんに電話してきたんだよ」
 同じ党の議員にチクッたって、党の不利益になるだけだから無視された上に証拠まで揉み消される可能性のほうが高い。よくて秘書に自首させて終わりだ。いったい何のためのタレコミだったんだ。
 坂崎さんは小さく首を振った。
「わかりません。推測ですが、鹿島は後藤議員とはほとんど接点がありませんしクリーンなイメージが強かったので、党の支持者か内部告発に近いものだったのかもしれません。ただ、同じ党員への密告ということは逆に信憑性があります。だから鹿島は調査したんだと思います」
「それで、そのタレコミは事実だったんですか?」
 杉本さんの問いに、坂崎さんはゆっくりと頷いた。
「ええ。後藤議員の私設秘書として登録されていた後援会幹部の息子が、実際はごく普通の会社員で秘書業務どころか後援会業務にすら全く関わっていないことがわかりました。その秘書の給与に政党交付金から支払われていることと、その給与が実際は秘書ではなく、指定暴力団の皆川会の構成員に渡っていることがわかったんです」
 出た、皆川会。深川と川井に繋がるな。
「政党交付金っていうと、確か国が政党に出してる金、つまり税金ですよね?」
「そうです。税金が暴力団に流れてるということになります」
「なるほど……いくら私設秘書でも、マスコミが嗅ぎ付けたら1年生議員なんて一巻の終わり、か。2007年の参院選は7月下旬でしたね。鹿島さんの事件が6月。出馬直前の後藤久幸が鹿島さんにこの事実をつきつけられて口封じのために殺した、という仮説はタイミング的に十分ありえるな」
 杉本さんが口元に手をあてて呟く。
 けれども関東屈指の指定暴力団の幹部を動かして殺人を犯すくらいだ。その中心にいるのが無名の下っ端の議員とは思えない。バックには、かなりの大物が控えてるはずだ。
 それに、政党交付金から振り込むくらいだから、後藤久幸自身この金が皆川会に流れてるなんて思ってない可能性もある。
「坂崎さんは、告発を恐れた後藤久幸が鹿島さんを殺すよう皆川会に依頼した、とは考えていないんだろ?」
 そう聞くと、坂崎さんは「さすがだね」と少し感心したように言って、ファイルの2、30ページ目あたりを開いて、そのまま俺に渡した。
 ズシッと質量のあるファイルを受け取ると、開かれたページに顔写真と経歴が書かれていた。
「次のページも」
 坂崎さんが付け足す。
池永芳弘いけながよしひろ中山勝登なかやまかつと。どっちも民自党の1年生議員か」
 どれも聞き覚えがあるような、ないような名前だな。
 ファイルを杉本さんに渡すと、眉間に皺を寄せた。
「まさか、この2人も―――――」
「ええ、名目は違いますが、それぞれ不正計上した経費が毎月皆川会に流れています」
 それを聞いて、杉本さんが資料をめくる手を止めて目を丸くした。
「おいおい………いくら新人でも与党の3人もの議員が暴力団に金を流しているんじゃ、一議員への追及だけで済まない。下手したら、政権、いや国家が揺らぐような大スキャンダルじゃないか!」
 いや、根はもっと深い。
「それだけじゃないよ、杉本さん。この不正は組織ぐるみの可能性も高い」
「組織ぐるみ?」
「ああ。そのプロフィールちゃんと見てみろよ。その3人は全員、永和会えいわかいのメンバーだ」
 杉本さんの手元の書類を覗き込んで、同じフォーマットの、同じ箇所に書かれている「所属派閥」の欄を指差すと、杉本さんは3枚すべてを確認して坂崎さんを見た。
「永和会というのは、どういう派閥なんですか?」
「民自党に古くからある名門派閥です。小野寺派と言ったほうが一般的かもしれませんね。現在は小野寺政調会長が率いていて、衆参合わせて64人の民自党議員が所属しています。それに過去には何人もの総理を出しているので、かなり力があります。
 この永和会の3人が不正計上している経費は、毎月の総額150万円以上。少なくとも年間1,800万円以上が、皆川会に渡っていることになります」
 ま、この場合は金額の問題じゃないだろうけど、それが本当だとしたら警察も検察も動かざるをえないだろうな。
「鹿島は興信所を使ってもっと深く調査していたようです。同じ政党の人間を告発するわけですから、確固たる証拠が必要ですし、そのお金の使い道まで突き止めなければなりません。もし鹿島がそこまで調べ上げていたとしたら、この不正計上を裏で操っている人間に殺されたんだと思います」
 あれ?
「それって坂崎さんも鹿島さんと一緒に調べてたんじゃないの?」
「僕は鹿島が亡くなって、補欠選挙や議員活動の合間に調べただけだよ。鹿島の遺品の中にこの件に繋がる資料が何一つ見つからなかったから、どう考えても不自然だと思って」
 何一つ見つからなかったのにこの分厚いファイルが今ここにある、ということは。
「では、この資料は?」
 杉本さんがファイルから顔を上げて聞く。
「これは鹿島が生前に銀行の貸金庫に預けていたもので、先週やっと僕の手元に届いたんです。決定的な証拠になるようなものはなかったんですが………」

 なるほどね、いろいろと腑に落ちた。
 銀行の貸金庫は、まったく資産価値がないものが入っていたとしても「遺産」という位置づけになる。だから契約者が死亡した場合、正式に相続手続きにのっとって相続した人しか貸金庫を開けられない。
 それなりの資産を持った大物政治家の遺産だ。しかも鹿島には子供がいない。相続手続きに時間がかかっても不思議じゃないし、坂崎さんがあんな事件を起こしたことで、さらに資料を手にするのが遅くなったんだろう。

 坂崎さんは杉本さんの膝の上のファイルを見つめて、「これは僕の想像なんですが」と前置きをして続けた。
「鹿島が僕に詳しい話をしなかったのも、この資料をわざわざ貸金庫に預けたのも、鹿島はすでに自分が狙われていると気付いてたからなんだと思います。これほどの規模の不正となると、不正をした議員個人や派閥の問題じゃ済みませんし、今年の総選挙で政権を奪われるほどの影響があります。そんな不正を告発しようとする人間を邪魔に思う議員は必ずいますし、それを防ぐためなら殺人をもいとわないと、本気で考える人間のいる世界ですから」

 殺されるほどの理由、それが鹿島の告発への覚悟だとしたら、鹿島は文字通り、命を賭けて政治を浄化しようとしていたんだろうな。
 そして鹿島が坂崎さんに調査資料を残したということは、鹿島は坂崎さんに危険が及ぶことを承知で「政治の浄化」を託したということで、つまりそれは「道半ばで殺された無念を晴らしてほしい」という鹿島からのメッセージともとれる。
 文字通り自分の命を賭けて母親と妹の復讐をした坂崎さんは、この鹿島のメッセージをどう受け止めたんだろう。

「いやぁ、それにしても」
 と、杉本さんが溜息まじりに言う。
「被害者が大物なら、被疑者も大物ってことか…………捜査が難航しそうだな」
 坂崎さんの話が本当に鹿島が殺された理由だとしたら、鹿島殺害を指示したのは、複数の新人議員を好きなように操れるような大物議員に間違いない。下手したら総理経験者クラスかもしれない。そんな人間が簡単に尻尾を出すとも思えないし、正面から攻めたところで秘書を生贄にして何事もなかったように善人面して人の上に立ち続けるに決まってる。それ以前に、警察上層部に圧力がかかって、事情聴取すらさせてくれないかもしれない。
 となると、裏から、つまり皆川会サイドから崩すしかない、か。
「その金を受け取ってる構成員の名前は分かる?」
「名前は高橋としかわからないけど、写真があるよ」
 坂崎さんはそう言って、杉本さんからファイルを受けとると後ろから数枚めくった。そこには、銀行のATMから封筒を手に出てくる男の、一目で隠し撮りのものだとわかる写真が印刷されていた。
 その横に拡大された、短髪に細い目の丸い顔写。そして、額の中央には大きなホクロ。
 こいつ――――、
「『高橋幸二 25歳。川井正男の側近』だ」
 つい昨日聞いた相沢の言葉をそのまま繰り返すと、坂崎さんと杉本さんがハッと写真から顔を上げた。
「川井だと!?」
 杉本さんが川井の名前に驚いたのを見て、坂崎さんが小さく首をかしげた。
「川井正男?」
「皆川会の幹部。香港に逃げてたけど、1ヶ月前に帰国してるらしい」
 簡単に説明すると、杉本さんが信じられないとでも言いたそうに。
「おまえ、そんな情報どこで手に入れたんだよ」
「15階の情報通からね」
 警視庁15階は公安部のあるフロアだ。杉本さんもさすがにその情報通が誰なのかわかったのか、真顔になって黙り込んだ。
 この大仏男に国会議員の経費が流れてるってことは、麻布事件の主犯格の川井正男も関わっているのは確実だ。
 それに、坂崎さんが雨宮を呼ばなかった最大の理由は―――――。
「坂崎さん、前に雨宮雅臣に鹿島さんの他殺について相談したって言ってたよな。この不正計上についても、雨宮雅臣に話した?」
 だから雨宮の両親は殺されたのか? 暗にそう含みを持たせて聞くと、
「うん、実は僕もその点が一番気になっていて―――――」
 坂崎さんはそう前置きをして、意外な答えを返した。

「それがね、僕が話した時、雨宮さんはもう知っていたような口ぶりだったんだよ」
「え? この3人の議員の不正を知ってたんですか? 雨宮氏が?」
 大げさなくらい驚いて身を乗り出す杉本さんに、坂崎さんは冷静に「ええ」と、頷いた。
 どういうことだ?
 雨宮雅臣のもとにも、鹿島と同じ密告がされていたのか?

「だから雨宮さんご夫妻は、鹿島と同じ理由、つまりこの不正計上の核心を知ってしまったから殺されたんだと思います」