始まりの日

赦罪 - 28

杉本浩介

 坂崎悠真に張り付いてる刑事から今日の様子の報告を受けてから取調室に入ると、正面ににへらっとした男が座っていた。
 こいつが田端たばたか。
 ヘラヘラと緩んだ顔の割には、死んだ魚みたいな目をしてる。まだ22歳だというのに、濃いクマや肌荒れのせいで老け込んで見えた。

「覚えてないみたいっすね」
 入り口のすぐ脇に立っていた日比野が俺の耳に顔を近づけて小声で告げた。その視線の先には、グレーの事務机の上に置かれた4枚の男の顔写真。そのうちの1枚が、綾瀬司朗だ。
「本当にこの中に、君がアコニチンを売った男はいないんだな?」
 田端の正面に座っていた津田さんが念を押した。もうすぐ定年の、白髪に小太りの穏やかな外見に似合わない現役一本槍のベテラン刑事で、何人もの凶悪犯を落としてきた取調べの達人だ。
「いねーっつってんだろ。第一、俺こんなオヤジに売らねーし。オヤジが死んだって、オモシロくなくね?」
 ニタァと不気味に口の端を歪めて言う。
 そうだった。この売人の目的は金じゃなくて自殺幇助だ。ネットで毎日自殺者をチェックして、自分が売った薬で死んだことを確認し、自分が殺したんだと遠回りに喜んで快感を得ていたような男だ。
 狂ってるな。
「確かに君が売った薬で自殺した人たちは、みんな君よりも年下だったな」
 津田さんはその行為に対して肯定も否定も込めずに、田端の言った事実だけを拾って納得して見せた。そして、それを見た田端は満足げに頬杖をついた。
「でもさ、1人だけ30近い男に売ったんだよねー。なんでだかわかる?」
「何か特別なことがあったのかね?」
 もったいつけた言い方に、津田さんが興味を引かれたよう身を乗り出してに聞き返す。けれども田端はニヤッと笑って黙り込んだ。
 話す気があるのかないのか。俺だったら怒鳴りつけそうなものを、津田さんは冷静に田端と向き合っている。
「確か、この前逮捕した時にはそんなことは言ってなかったが………」
「だって、そいつが自殺するの見届けたかったからさぁ」
「じゃぁその30代の男性はまだ生きているんだね。かなり特別な存在だった?」
 津田さんの問いに、田端はまた満足そうに口角を上げる。
「つーか、チョー特別。だって地位も金も手に入れて成功したくせに自殺なんてしようとしてるんだぜ。贅沢すぎね? 刑事さんもそういう奴ってムカくっしょ?」
 身を乗り出して、ふてぶてしい態度で言う。幇助してるくせに、根性がひん曲がってるな。
「そうかもしれないな。で、その男はまだ生きてるのか?」
「ああ。今朝もテレビで―――っあ、ヤベ…………」
 いかにも「しまった」とでも言うように急に口を噤んだ。
 テレビ?
 こいつ、有名人に売ったのか?
「………いや~~~~」
 焦ったように視線を泳がせる田端を見て、津田さんは腕を組んで大きく頷いた。
「そういうことか。名のある人が君の売った薬で自殺したとしたら、君にとってはきっと名誉なことなんだろうな」
「お、あんた分かってるね。やっぱりそう思うだろ?」
 嬉しそうに言うな。くそったれ。
 けれども津田さんは、遠慮なく田端のテリトリーに踏み込む。
「それじゃぁ、その人が誰なのか教えてくれないか?」
 すっげ、物凄い剛速球できたな。定年間近とは思えないキレだ。
「ヤダね。教えたらそいつが自殺するの止めにいくんだろ?」
「しかし、君がこのことを隠したままその人が自殺してしまったら、君はまた起訴される。そうなると今度は再犯だから執行猶予は付かないだろうね」
 津田さんはまるで子供に言い聞かせるようにゆっくりと優しく言った。その意味を理解した田端の顔色が一気に曇った。
「ちょ、マジかよ、俺ブタ箱にぶち込まれちまうのかよ!?」
「嫌だったら、ここで正直に言いった方がいい。君が罪の意識を持って告白してくれれば、君は彼にとって命の恩人になるかもしれない。成功した男なんだろう? そんな男の命を救ったという勲章も、悪くはないと思うがね」
  自分で蒔いた種の棚に上げっぷりはこの際眼をつぶるとして、確かにこの田端みたいな歪曲した支配欲の強い人間にはこういうやり方がいいのかもしれない。
 田端は、じっと机の中心を睨みつけて何かを考えるように黙り込み、それから諦めたように溜め息をついた。
「最後の楽しみだったんだけどなぁ………まいっか」
 そして、俺が想像もしてなかった名前を口にした。

「坂崎悠真だよ。国会議員のセンセイ」

 なに―――――――!?

尾形澄人

 蟻ヶ崎の店を飛び出て、雨宮を探しながら杉本さんに電話した。
 こういうときに限って出ない。留守電にもならないコール音を延々と聞きながら、コンビニのレジでタバコを受け取ってる雨宮を見つけた。
『もしも―――』
「杉本さん、坂崎さんと北林の居場所調べて! 大至急!」
『おい、何があったんだよ』
「あとで話す。どうせ張ってるんだろ!?」
 それだけ言って携帯を切って、コンビニから出てきた雨宮の手を引っ張った。
「え!? 何? どこ行くんだよ!」
「あとで話すから、とにかく付いて来い!」
 大通りに向かって雨宮を引きながら坂崎さんに電話をすると、敦志の言った通りすぐに留守電の無機質なアナウンスが流れた。

 すぐに連絡するようにメッセージを残しながら、肺のあたりがやけにざわついた。
 何もなければ、それに越したことはない。けれど、もし坂崎さんが北林に接触していたとしたら―――いや、手を下していたとしたら。

 ざわつきを抑えながら通話を切った直後、杉本さんからコールバックがあった。
「わかった?」
『それよりも田端が』
 田端? 誰だソレ。
「そんな話いいからさっさと―――」
『たまには俺の話しも聞け!』
 珍しく強い口調で俺を遮る。杉本さんもどこか焦ってるみたいだ。
『いいか、落ち着いて聞けよ。田端がアコニチンを売った客の中に、坂崎悠真がいた。綾瀬には売ってない』

 思わず、足が止まった。
 坂崎さんが、アコニチンを買った? それに綾瀬が買ってないなら、坂崎さんが綾瀬に渡した可能性が高いってことだ。
「………それ、間違いないのか?」
『まだ裏は取れてないが、自供の経緯から考えてほぼ間違いない』
 それが本当だとしたら――――。
 俺の脳裏に浮かんだ最悪の結末をよそに、杉本さんが得意げに続ける。
『綾瀬は坂崎を脅してアコニチンを買わせたんだろうな。その上で山梨まで北林を追って行って殺そうとしたが、失敗に終わった』

 いや、違う。
 仮にそうだとしたら、綾瀬は北林殺害も坂崎さんにさせようとしたはずだ。そもそも、他人に毒薬の入手をさせるほど用心深い人間が、自分の手を汚すわけがない。
 つまり、綾瀬が殺そうとしていたんじゃない。
 坂崎さんが、綾瀬に殺させようとしていた。
「綾瀬って、北林事務所は自主退職だったんだっけ?」
『いや、事実上はクビだ。横領がバレたって話しだけど、その横領も綾瀬がしてたのか北林がしてたのか微妙らしい。警察にが入る前に、綾瀬に責任なすりつけてクビにして、証拠隠滅したんだろう。綾瀬にとっちゃ北林のために犯罪の片棒を担いでいたのに、自分1人に罪を擦り付けられてクビだ。綾瀬は相当恨んだろうな。援交相手の中学生に愚痴ってたって話だ』
 つまり、それが引き金か。
 坂崎さんは、綾瀬のその恨みを利用して、北林を殺すよう誘導したんだろう。もともと精神病で被害恐怖に陥っていた綾瀬の感情をコントロールすることくらい、坂崎さんくらい頭がよければ簡単だ。
 けれど綾瀬は北林殺害に失敗して、死んだ。その死は追い詰められて自殺を選んだのか、口封じのために坂崎さんが殺したのかはまだ分からないけど、どっちにしても坂崎さんにとっては、唯一の駒がなくなったことになる。
 だから、今度は自分の手で「復讐」を実行しようとしている。
 敦志の直感を信じるとしたら、坂崎さんは北林を殺した後、自分も死ぬつもりだ。

 縫うほどの怪我を負いながら、心を隠すように笑った坂崎さんを思い出した。

 実の父親――政界の権力者に母親を殺され、自らも同じ政界に進んだ理由。
 妹をその父の側近に殺され、親同然と慕った鹿島も殺されながらも、その跡を継いだ理由。
 それほどの不幸を背負いながらも、どうして幸せだと言えるんだろうかと、ずっと考えていた。
 どうしてなのかと――――…………。

「………………っざけんなよ」
 小さく口にすると、肺の奥から怒りが込み上げてきた。
 結局、敦志の信頼を利用して、自分の人生を投げ打って、東海沖地震並みに破滅的な目的を達成しようとしてたわけだ。

 何が怖いくらい幸せ、だ。
 こんなの、ただの思い上がりじゃねーか。

 殺してから自殺?
 俺は、そんなやり方は許さない。

「杉本さん、坂崎さんと北林の居場所わかった?」
『事情を聞きたいのは分かるが、そんなに急がなくてもいいだろ』
 杉本さんは 北林を殺そうとしていた綾瀬を、坂崎さんが殺したんだと思い込んでるから、こっちがイラッとするほど呑気にかまえる。
「そうじゃない。坂崎さんが北林を殺すかもしれない」
 握り締めていた雨宮の手首がビクッと震えて、驚いたように揺れる眼で俺を見ていた。
『なんでそうなるんだ。第一、動機がないだろ』
「話すと長くなるから後で説明する。さっさと教えろよ。坂崎さんの方はもう分かってるんだろ?」
 とにかく今は、坂崎さんを止めるのが先だ。アコニチンは即効性の毒物だから、摂取したらかなり危険だ。
 けれども杉本さんは声を緊張させ、
『おまえ、何を隠してる?』
「だから後で話すっつってるだろ」
『いや今すぐ話せ』
 有無を言わせない口調でプレッシャーをかけてくる。こうなると始末に終えないタイプの人間だ。
 杉本さんのくせに、めんどくせぇ…………。
「…………親子だったんだよ」
 数拍の沈黙。
 それから、
『…………北林と、坂崎がか?』
「そう」
『―――――――おまえ! そんな大事なことなんで黙ってたんだよ!!』
 あまりにも予想通りの反応。
 だから言いたくなかったんだ。今はそんなこと話してる暇なんてない。
 こうしている間にも、坂崎さんが復讐を実行しようとしている。
「わかってるよ、隠して悪かったよ。説教なら後で聞くから、さっさと居場所言えよ!」

 坂崎さんに何かあったら、敦志が泣く。
 坂崎さんが北林を殺したら、雨宮が傷付く。

 それをさせないために、俺ができるのは。

「頼むから―――――っ!」

 しぼり出すような声になったのは、演技じゃない。
 本気で何かを願う時は、人はこういう声になるんだと、頭の片隅で思った。

 親子だと、隠しておいたのは間違いだったんだろうか―――――。

『………坂崎なら紀尾井町ホテルに入った。北林も党幹部との会合で同じホテルにいる』
 静かだけれど、堅い口調。
『今から俺たちも向かう。先にホテルに着いたらロビーで待ってろ』
 そう言うなり、一方的に電話が切れた。
 怒ってるな。
 けど、今はそんなことはどうだっていい。

 北林と坂崎さんが向き合う映像が、脳内に流れた。

 強すぎる、揺ぎ無い動機。
 確実に人を殺すことのできる、凶器。
 そして、目の前にその男がいたら――――。

「雨宮、走るぞ!」
 言うと同時に雨宮の腕を引っ張って大通りに向かって走り出した。
「わかったから、手ぇ離せよ! 恥ずかしいっ」
 そのいつもの怒鳴り声が、なぜか俺の焦った脳を落ち着かせた。

 ビバ、雨宮。