始まりの日

未来 - 29

杉本浩介

 雨宮から呼び出されて、尾形のマンションのドアを開けたのは、翌日の昼すぎだった。
 両親が殺されて、目の前で尾形が撃たれたことを考えると、言われなくても様子を見に行こうと思っていた。
 けれども、玄関でドアを開けた雨宮は、予想以上に明るい顔をしていた。
 こんな状況でそんな顔をされると、逆に心配になってくる。この前みたいに、泣きはらしていてくれたほうが、ずっと普通だ。
「おまえ、大丈夫か?」
 思わずそう聞くと、雨宮は少しだけ首をかしげて、
「大丈夫ですよ。そんなに落ち込んでるように見えるかな」
「いや、見えないから心配なんだよ……」
「何それ。落ち込めってことですか?」
 そう言って、カラッと笑った。
 拍子抜けするほど、明るい。
 日比野の報告だと、尾形は意識は回復していないが命に別状はなく、寝ているだけと言うから人騒がせもいいところだ。まぁ、これまでの激務を考えるとしょうがないが、一時は死にかけただけに、目が覚めるまでは心配なはずだ。
 雨宮はそんな境地はとっくにのり越えたのか、それともただ気丈に振舞おうとしているだけなのか。

 とりあえず、コンビニで買ってきた冷やし中華を遅い昼食にしながら、事件の経緯を事細かに説明した。
 ずるずると麺をすする俺を見ながら、雨宮は納得できないように眉間に皺を寄せた。
「じゃぁ、相沢が追ってたのって、深川じゃなくて実はあの殺し屋だったんだ」
「さあな。公安の、というよりも相沢の考えてることは、さっぱりわからん」
「同感。でも、あの中国人は俺の両親の殺人じゃ逮捕できないんですよね?」
 やっぱり気付いてるのか。
 警察が事件を隠蔽し「犯人」はいないことにした。つくづく、上の人間のやることに腹が立つ。そして何よりも、両親を殺された雨宮の気持ちを思うと、申し訳なさで頭が上がらない。
「すまない、俺に何かできれば……」
 頭を下げると、予想外にカラッとした口調で、
「杉本さんが謝ることないですよ。じいさんが決めたことなんだろうし」
「…………知ってるのか」
 警察上層部の都合もあるが、最終的な判断は雨宮総理が下している。つまり、雨宮総理自身、自分の息子夫婦が殺されたという事実を、もみ消したことになる。
 自分の地位が大事なのか、それとも。
「だいたい予想つきますよ。でも、俺はそれでよかったと思ってるんです。もし俺が両親が殺されたと思って13年も生きていたらって考えたら、ぞっとするし」
 少しだけ悲しそうな笑みを浮かべて、けれども祖父に似た意志の強い目をしてきっぱりとそう言った。
 周りが諭したわけじゃない。本人が心から強くありたいと願っているんだろう。
 俺は仕事柄、家族や恋人を殺されて、憎しみと恨みと復讐心だけに支えられて何年も生きている遺族を、数え切れないほど見てきた。
 もし雨宮が記憶を失っていなかったら――両親があんな形で殺されたのだと知って育っていたら、きっと雨宮の言うとおり苦しい年月を送っていただろう。しかし、だからと言ってたった数日間でこんなふうに思えるようになれるのだろうか。
「本当に、おまえって奴は……」
 思わずそう呟くと、雨宮は17歳とは思えない大人びた顔をして微笑んだ。
 これから、こいつが幸せになるために、できるだけ力になろう。
 そんな俺の決意をよそに、雨宮はさっさと事件の話を進めた。
「でも、あの中国人の殺し屋、何か知ってるってるのかな」
 相沢がわざわざ連れて行くということは、何かを知っているからと考えるのが妥当だ。だとしたら、それは何か。
「公安が絡むって事は、極左か右翼辺りかテロ関連だと思うが、皆川会が右翼寄りってのを考えると、まずは右翼だろうな」
 プロの殺し屋なら他に誰かを殺そうとしていたかもしれない。いや、殺したかもしれない、とも言えるのか。
「最近死んだ、右翼に敵視されてた人間っていますか?」
 同じ事を考えたのか、雨宮がそう聞いてきた。
「死んだっていうと、去年6月に衆議院議員の鹿島弘一かじまこういちが自殺したけど、そのくらいだな。鹿島は昔からリベラル派で靖国問題なんかでも相当過激な発言してて、右翼は目を付けてただろうな。大物議員の自殺だから怪死なんて騒がれたけど、警察は自殺で処理した」
 本当に自殺かどうかは、今回の件を思うと言い切れないところもあるが。
 雨宮は頬杖を付いたまま、何かを考え込むように黙り込んだ。
 その間に弁当を食べ終えてゴミを捨てにキッチンに行く。ゴミ箱の中にプラスチックの弁当箱が2つ捨ててあった。弁当でも食べないよりはマシか。
「杉本さんは、深川がなんでよりによって総理大臣なんて面倒な人間を脅迫したと思いますか?」
「一番効果があると思ったんじゃないのか? 本人もそう供述してる」
 冷蔵庫から一昨日の朝ここに届けた500mlのペットボトルのお茶を出しながらそう答えると、雨宮が立ち上がったみたいだった。
「でも一般人を脅迫しても、警察の対応は基本的には変わりませんよね。身代金だって、ちゃんと用意するはずです。それなのに、なんであえて総理大臣を狙ったのか。もっと他に理由があるんじゃないかと思って。杉本さんコーヒー飲みますか?」
「ああ、飲む。その理由って言うと?」
「俺の両親を殺して得する人間が、他にいるはずですよ」
 俺と入れ代わりに雨宮がキッチンに入って、コーヒーメーカーをセットし始めた。
 川井正男が脅迫電話で言っていた「人殺しの依頼」が頭に浮かんだ。誰かに依頼されて殺した、ということもあり得る。いくら若手とはいえ、政治家なら1人や2人に恨まれていたとしても不思議じゃない。増してや、総理の息子だ。
「わかった。探ってみるよ」
 そう答えたとき、テーブルに置いた俺の携帯のバイブが鳴った。
 市外局番が045、横浜だ。尾形の入院している病院かもしれない。
「はい、杉本です」
『みなとみらい大学病院の佐野です。尾形さんの意識が戻りましたので、ご連絡差し上げました』
「そうですか。容態は?」
 その言葉に、雨宮がハッと俺を見た。
『今のところ問題ありません。大部屋に移ったので、面会にいらっしゃるようでしたら救急病棟の受付に立ち寄ってください』
「わかりました。ありがとうございます」
 ほっとため息をついて電話を切る。
「意識戻ったって。行くなら、救急病棟の受付に寄れってさ」
 そう伝えると、雨宮は何も言わずに物凄い勢いでキッチンから出て自分の部屋に入った。それから、尾形の部屋に行って着替えらしきものを紙袋に詰めて、あっという間にマンションを出て行った。
 落ち着いているのか、いないのかよく分からない。俺に気を使う余裕はないけど、尾形の着替えはきっちり持って行くってわけか。
「ははは」
 入れかけのコーヒーはいただくとして、ここの鍵、どうしようかな。

尾形澄人

 気が付くと、雨宮の泣きそうな顔が瞼の裏に浮かんだ。
 そんな夢を見ていたような気がする。
「尾形さん、わかりますか? 病院ですよ」
 瞼をあげると、ベテランっぽいおばさんナースに顔を覗かれていた。雨宮じゃないことにがっかりしながら、とりあえず頷く。生まれた年を聞かれて答えると、ナースコールで「立花先生」を呼んだ。
 逆の立場になってみると新鮮だな。
 血圧と脈拍を測られながら周囲を見回して、自分が一般病室にいることに気が付いた。ベッドをカーテンで囲われているけど、気配や音、設備でだいたいわかる。もう抜管されて点滴が2本ぶら下がっているだけだった。点滴の種類からしても、問題なく回復しているのがわかる。
「なかなか気付かないんで、心配しましたよ」
 やけに見栄えのいい医者が、柔らかく言いながらカーテンの中に入ってきた。そして、ベッドの脇でナースからバイタルの報告を受けながら指示を出した。
「今、何時?」
 ERに到着してすぐに麻酔で眠らされたから、時間の感覚がわからない。
「16日の午後2時40分です。丸一日以上、ぐっすり寝てたました」
 あれからもう27時間も経ってるのか。気を失ってたんじゃなくて、寝てたってところが笑えるけど、徹夜続きだったから、疲れが出たのかな。
「鈴木さんが、心配していましたよ。ちゃんと歩けるようになるのかと」
 鈴木? ああ、雨宮か。鈴木ってことになってたんだっけ。
 心配してるんなら、俺についてろっつーんだよ。普通こういう場合は、俺が目覚めたら雨宮がいるってのがセオリーだろ。
「そのまま心配させておいて」
「残念、もう大丈夫だと伝えてあります」
 上品にニヤリと笑って言う。こう言う笑い方しても知的に見えるから不思議だ。
 誰が見ても、いい男ってやつだ。
「俺の処置したのセンセ?」
「ええ。救命救急医の立花といいます」
 そう言いながら、若いナースが持ってきた注射器で採血する。
 採血管に溜まる鮮血を眺めながら、昨日の雨宮の呆然とした顔を思い出した。
 俺自身、内心は覚悟していた。大腿動脈が損傷したら、大抵は出血死だ。救急車の中で聞いたバイタルも、出血性ショックの症状そのものだったし。
「俺、何CCくらい出血してた?」
「搬入時の脈拍が130、血圧が60でしたから、2000ccか多くて2500cc程度だと思いますよ」
 重症、だろ。下手したら死ぬ。それでも翌日に一般病棟にいれるのは、たぶんこいつの腕が抜群によかったからだ。意識は朦朧としてたけど、なんとなく覚えている。この外見でその腕だったら、さぞかしモテるだろうな。
「あんた、すっげぇ手際いいな」
 針を抜いてナースに渡し、代わりにカルテを受け取る。そしてナースはさっさとワゴンを押して病室を出て行ってしまった。
「銃創は何度も扱ったんで」
「もしかして、戦場とか?」
「いえ、アメリカで。2年しか行ってませんけど」
 2年ってことは、留学か。
「へぇ。ちなみにどこに留学してたの?」
「HMS()です。病院はマサチューセッツゼネラルホスピタルでしたけど」
 凄い、偶然だ。
「俺も4年前そこでインターンやったんだけど」
 そう言うと、驚いたように俺を見た。
「……19歳でHMSを卒業した日本人がいるって聞いてたけど、尾形さんのことだったんですか」
 やっぱり、その年だと、だいたい時期が重なると思ったんだ。
「運命の出会い?」
 俺が冗談っぽく言うと、彼は少しだけ笑ってまたカルテに目を移した。
「HMSを出たのに、どうして医者にならなかったんですか?」
「人を救うよりも、追い詰めるほうが性に会ってたから」
 理由はいろいろあるけど、とりあえずそう答えると、彼はまた小さく笑った。
「だからと言って、大事な人まで苦しめるのもどうかと思いますが」
 大事な人、ね。雨宮のことをそんなふうに言うってことは、俺と同じ種類の人間か。
「あんた、結婚してる?」
「いいえ」
 俺の真意がわかったのか、カルテを閉じて、今度は無表情でそう答える。
「俺の傷が治ったら遊ばない?」
 そう誘うと、無表情のままベッドの手すりに手をついて、顔を俺に近づけた。そして、その綺麗な目で俺を静かに睨みつけた。
「……悪いけど、そういうことはしないと約束した相手がいる」
 病院の人間には、知られたくないんだろう。俺にしか聞こえない小さな声でそう言った。
「美人は怒らせると怖いね。せっかく仲間見つけたのに」
 同じくらい声を抑えてそう言うと、彼は姿勢を戻して白衣のポケットに手を入れた。
「本当はそんな気なんてないんでしょう」
「ははは」
 やっぱり、バレてるか。

 雨宮は、どうしてるだろう。
 俺のことを心配しているのは当然だろうけど、あいつ自身のことが心配だった。
 深川が逮捕されたとしても、あいつの両親の事件は隠蔽されているから、罪に問われない。せいぜい懲役15年程度で、大人しく服役してれば10年で出所だ。俺には、何もできない。
 犯人を恨んでいるんだろうか。
 警察を、恨んでいるんだろうか。