始まりの日

未来 - 16

雨宮陽生

 いた、こいつだ……。
 画面の左下に映し出されている写真の男を睨みつけた。角ばった頬に薄い唇の、いかにも中国系の顔をしている。
 父さんを殺した男だ。中国国籍で絞り込んだリストの中にいた。
 携帯のリダイヤルで相沢に連絡をする。けれども、留守電につながった。見つけたことをメッセージに残して、尾形に電話をした。呼び出し音は鳴るけどなかなか出ない。どうしてこういう時にみんな繋がらないんだと苛立ったとき、
『……はい?』
 どこか弱々しい、というか寝起きっぽい声がした。
「あれ、尾形?」
 一瞬間違えたかと思ってったけど、そんなわけない。
『ああ……雨宮か。今何時?』
「えーと、18時35分」
 画面の右下を見て答えると、尾形が疲れたような息を吐いた。それから気分が入れ替わったのか、いつもの口調に戻った。
『もうそんな時間か。で、何?』
「あぁ、見つけたよ、父さんを殺したやつ」
『わかった、すぐ行くから待ってろ。相沢は?』
「電話したけど出ない。留守電に入れておいた」
『そうか。あと杉本さんにも連絡しておいて』
「わかった」
 電話を切って杉本さんに連絡し終えると、どっと疲れが出た。5時間近く画面を睨みつけてたことになる。普段はこういう画面って見ないし部屋が乾燥してるから目が痛かった。
 それから5分後、ドアが開いた。
 一瞬初めて尾形に会ったときのことを思い出した。白衣を着ていたからだ。
「遅くなった、どれ?」
 そう言って俺の横に立った尾形から薬品の匂いがした。もしかしたら科捜研の仕事をしていたのかもしれない。
「こいつ」
 俺は男の拡大した写真が映った画面を指差した。たぶん相沢が個人情報が出ないように設定したんだろう。写真と国籍と、あとはパスポート番号しか見れないようになっていた。
「パスポート番号だけか。相沢が来るまで待つか、それともこっちで調べるか――相沢と最後に話したのはいつ?」
「1時間前に電話で話しただけ。トイレに行きたいって言ったら、知らないオヤジが来て連れってくれた」
「トイレまで監視されてるのか? じゃ、杉本さんは?」
「取調べ中だから来れないって」
 尾形の携帯が鳴った。白衣のポケットから取り出して発信者を確認して、取らずに無視する。
「……そうか。で、おまえ今夜どうするんだ?」
「え?」
 急に話が変わって、一瞬かまえてしまった。尾形に聞かれると、誘われているような気がしてくるのは、気のせいであって欲しい……。
「まぁ、雨宮がすることはもうなさそうだから帰ってもいいよ」
 俺の心配をよそに、尾形はディスプレイを見たまま事務的にそう言う。俺の考えすぎ、か。よかった。
「でも、もう1人いるから」
 日本人っぽい犯人だけど、相沢の話からすると外国人の可能性の方もある。
 けれども尾形は小さく微笑んだ。
「たぶん日本人だよ」
「なんで?」
「手口がキッチリしてて、なんか日本人らしいんだよな。それに、顔がわかったとしても手がかりにはならないような気がする。完璧主義だから、簡単に足がつくようなことはしないはずだからね。その点、この中国人の方は足取りが掴めそうだ」
 きっぱりと言う。
「じゃあ、こいつの足取り追う。何でもいいから、手伝いたい」
 俺にできることは限られているのはわかっている。高校生が捜査に加われるはずなんてないし、違法だってこともわかっている。きっとここに連れてきてくれたことだけでも、尾形は規則に違反してる。それでも、俺にできることがあったらなんでもしたかった。犯人を捕まえたかった。
 尾形は俺の気持ちを察したのか、小さくため息をついた。
「悪いけど、これ以上雨宮を捜査に巻き込むわけにはいかない」
 思ったとおりの返事が返ってきた。最初からいいなんて言うわけないって分かってたけど。
「ただ、何か進展があったらすぐに連絡してやる。近くのホテルとってやるから、そこで待ってろ」
「別にホテルなんて取らなくてもいいよ」
 そもそも大人しくしてるつもりなんてないし、そこまで面倒みてもらわなきゃいけないほど子供じゃない。けれども、尾形はニヤリと笑って俺を見た。
「俺も寝たいんだよ」
 深読みするべきか、それとも素直に受けとめるべきか。探るように睨み付けると、尾形は面白そうに笑った。
「俺は未成年には手をださないって言っただろ。普段は仮眠室使うんだけど、こういう事件があると夜はベッドがいっぱいで寝れないんだよ」
 キスしておいて、よく言うよ。
 その時、部屋のドアが開いて相沢が入ってきた。
「どの男だ?」
 入るなりそう言って、画面を覗く。
「遅かったな」
「上で会議中。抜けてきた」
 尾形に単調にそう答えると、相沢は俺に立つように促し、そしてその椅子に座った。
「課長が抜けていいのか?」
「その課長に何をさせてる。黒田は吐いたか」
「さあな。俺は科捜研で裏付け鑑定してたから」
 相沢はその答えに特に何も反応せずに、キーボードとマウスを動かす。
「このデータ、捜査本部に送る?」
 言いながらキーボードを叩く。画面が次々に切り替わって、その犯人のデータと指紋とパスポートの画像が映し出された。
「いや、2枚印刷して。まだ非公式にしたい。本部にはコイツの存在を教えたくないんだ」
 尾形が俺を見てそう言うと、相沢は画面を見たまま口元だけで笑った。
「弱みを握ったと思っていいのかな」
「好きにどうぞ」
 そう言った尾形の顔は、どこか楽しそうだった。

尾形澄人

 雨宮に1階の受付の前で待つように言ってエレベーターを降り、6階の捜査一課で杉本さんの居場所を聞いて、第4取調室に向かった。
 灰色のドアを開けると、狭い部屋で1人の目つきの悪い男が4人の刑事に囲まれて取調べ中だった。こいつが黒田か。写真よりも老けてるな。
「杉本さん、ちょっと」
 黒田の正面に座っていた杉本さんを呼ぶと、杉本さんは無言で立ち上がって取調室を出た。
「これ、雨宮が見た犯人の情報。相沢も知ってる」
 廊下で相沢からもらった資料を渡すと、杉本さんはさっと目を通した。
「わかった。捜査本部じゃ聞き込みはできないから、とりあえず生活安全部に都内の防犯カメラの映像をあたってもらうか」
 やっぱり。情報源が公にできないから捜査本部の人間は動かせない。それに街頭に設置された防犯カメラは生安部の管轄だから、そっちに頼むことになる。俺としては雨宮の存在を知られたくないから、別部署なのは好都合だ。
「黒田はまだ吐かないのか?」
 そう聞くと、杉本さんは苦々しい顔をした。
「ああ、なかなかしぶといね。おまえの言うとおり、妻子が人質に取られてるんだろう。雨宮は帰ったのか?」
「いや、この近くにホテル取る」
 そう答えると、杉本さんににんまりと笑われた。
「そうか。まぁせいぜい理性保てよ、若者」
 さすがにこの状況で俺が雨宮に手を出すとは思ってないから、そんなふうに冗談っぽく言えるんだろうな。
「杉本さん、俺を誤解してない?」
「おかしいなぁ。俺は人を見る目はあると思ってたんだけど」
「天才には通用しないってことだろ」
 つまり「手を出すかもしれない」って言ったつもりなんだけど。
「ははは、自分で言うな」
 杉本さんは俺の本心になんて全然気付いてないみたいで、笑いながら取調室に戻って行った。そこへタイミングよく携帯が鳴った。科捜研からだ。
「はい、尾形」
『あーー、尾形教授やっと出た。さっきから何回も電話してるのに、どうして出てくれなかったんでですかぁ』
 日比野弟が、泣きそうな声でさっそく愚痴る。確かに研究室を出る間際に鳴った内線も放置したし、雨宮と話してるときの着信も無視した。ただ、泣くほどでもないだろ。
「教授って言うな。忙しいんだよ」
『俺のプロファイリング見てくれたんですか!?』
 しつこい奴だな。
「わかったわかった。見てやるから、さっき買ってきてくれた肉まん持って桜田通りの歩道に出てて」
『……絶対ですよ?』
「はいはい」
 電話を切ってエレベーターを降りると、受付の横で雨宮が待っていた。俺に気付いて一瞬だけ笑みをうかべ、すぐに真顔に戻る。
 どうしてそのまま笑ってくれないんだろう。
「腹、減らない? 肉まんあるんだけど」
 そう言うと、雨宮は呆れたように微笑んだ。
「なんでもいいよ」
 その後に「尾形と一緒なら」と言ってくれそうないい方だったけど、それは気のせいかもしれない。
 そう思って、こんなこと考えてる自分が意外だった。
 これまで何人もの男と付き合ってきたけど、こんな風に相手に何かを期待したのは初めてだ。愛し合ってるつもりでも、俺はずっと受身だったんだろう。
 俺は思った以上に、雨宮に惹かれているのかもしれない。

 よく泊まるホテルに電話をして部屋を取って本庁を出ると、すぐに日比野弟がいつもと同じように目を輝かせて駆け寄ってきた。
「尾形教授!」
 相変わらず教授、直さねーな。今度から返事しないでみよう。
「はい、肉まんです」
 日比野弟が手に持っていた結婚式の引き出物クラスの紙袋を差し出しながら言う。受け取ると、ずっしりと3キロはありそうな重さで細い持ち手が指に食い込んだ。
「2時間くらい前に鑑識の神田さんが1つ持って行きましたよ。言われたとおり2個づつ買ってきたんで、1つは残ってますから」
「りょーかい」
 黒田がいたホテルにあったマッチの「月華樓」という店には肉まんが売ってないとこいつから電話がって、月華樓周辺の肉まんをかたっぱしから買ってくるように頼んでいた。まぁ、いくら中華街でもこんなにたくさんあるとは思わなかったけど。で、この中に、部屋にあった肉まんと同じ紙を使ったものがあったんだろう。
「すごく重かったんですよっ。感謝してくださいよね」
 こいつ、本当に俺と1歳しか年が違わないとは思えないな。日比野兄弟は兄弟そろって精神年齢が低いのか。
「はいはい、サンキュー。金は後でもいいか? 合計金額どっかにメモってくれればデスクに置いておくから」
「もちろん大丈夫です」
 日比野はそう言ってにっこり笑う。そしてふと俺の隣の雨宮に気付いて、真顔になった。いや、どうして今まで気付かなかったかが疑問だけど、日比野にとっては俺が第一だから仕方ないかもしれない。
「尾形教授、コレ誰ですか?」
 そのでかい目であからさまに雨宮を睨んで聞く。雨宮もそれに負けないくらいの凄みをきかせて日比野を睨み返した。
 日比野弟にはこの辺ではっきりと追い払っておかないと、ますます俺に付きまといそうだ。雨宮にも変な誤解されたくないし、ということで。
「ああ、こいつ俺のコイビト」
 そう言うと、ふたりは同時に、
「はあ?! てめぇ、なに適当なこと言ってんだよ!」
「どういうことですか?!」
 ……そこまで怒らなくてもいいと思うけど。
「日比野、そういうことだからあとは宜しくな」
 面倒くさいから適当に場をごまかして、雨宮の手首を掴み、目の前の地下鉄に続く階段に駆け込んだ。