始まりの日

未来 - 14

雨宮陽生

「寂しい?」
 無表情にディスプレイを見ながら、相沢はそんなことを聞いてきた。
「別に」
 寂しくなんかない。それどころか、このデーターの中に父さんを殺した犯人がいるのかもしれないと思うと、収まっていた怒りがまた息を吹き返していた。でも、こいつとそんなこと話したくない。
「俺は君にもう一度会いたかったよ」
「は?」
 思わず身構えると、相沢は口だけで小さく笑った。
 こいつ、俺は会いたくなかったって分かって言ってるんだ。
「尾形は優しい?」
 ……つーか、なんでそんなこと俺に聞くんだよ。
 犯人に対する感情と相沢に対する苛立ちが混ざって、ムカムカと怒りが膨らみ始めた。
「あんたには関係ないだろ」
 思わず言い捨てるように答えると、相沢はそれ以上なにも聞いてこなかった。そのかわりなのか、なぜか自分のことを話し出した。
「尾形とは、半年前に会った。俺はその時かなり感情的になってて、酔ってたんだ。それで偶然その場にいたあいつを誘った」
 特に躊躇うでもない、まるで月本がじいさんにスケジュールの説明をするみたいに事務的な話し方。そのこいつが、かなり感情的になっている姿が想像できないけど。しかも、尾形が誘ったんじゃなくて、相沢から誘ったっていうのも、想像できない。
「あいつが好き?」
 あまりにも相沢の考えてることがわからなくて、1つの可能性をあげてみた。尾形と寝たってことは、こいつもホモだし。けれども、眉ひとつ動かさずに。
「気になるんだ」
「別に」
 正直、俺は相沢と尾形がどういう関係なのか、気になってる。
 でも俺はホモじゃないし、あんなふうにキスされたら免疫のない俺なんか、心拍数上がって当然だし。タクシーの中で出した結論は、こっちに来て初めて会った頼れる人間なんだから、少しくらい気になって当たり前だ、というもの。
 尾形は勝手にそれを恋愛感情だと勘違いしただけなんだ。
 相沢はあいかわらずパソコンから目を離さないで、手早くキーボードを叩く。専用のソフトが立ち上がり、画面に4人の顔写真が映し出された。
「この中にここ半年以内に入国した外国人の顔写真が入っている。ここから君の見たという人間を探してほしい。全部で5530,634人いるけど、国籍や人種、性別、年齢で絞込みできる。やり方、説明する?」
 事務的に聞かれて、首を横に振った。
「いい」
 画面を見れば使い方はだいたいわかる。それよりも。
「もう1人は、日本人かもしれないけど?」
「だろうけど、残念ながらあの手の仕事ができる日本人の殺し屋情報はない」
 相沢は残念そうに聞こえない口調で答えてから、またキーボードを叩きながら画面を見たまま口角だけわずかに上げた。
「遊びだよ」
 じゃあ、どうして。
「なんで、麻布であんなこと俺に言ったんだよ」
「さあ。気まぐれかな。イラついていたのかもしれない」
「そんな風には見えなかったけど」
 相沢は何も言わずにキーボードを数回叩いてからすっと椅子から立ち上がると、無言で微笑んで俺に椅子にかけるように促す。俺は促されるままその椅子に座った。
「一瞬でもここを離れる時は、必ず俺に電話して」
 カードケースから名刺を差し出し、穏やかにそう言い残して、部屋を出て行った。
 話、途中だったんだけど。こいつも人の話聞かない奴だな。

 遊びだったら、どうしてあんなふうに俺を見たんだろう。
 尾形が俺を好きだと言ったように、相沢にもそう言ったのかもしれない。
 そう考えて、ほんの少し息苦しさを覚えた。
 けれど、その息苦しさを無視して、パソコンの画面に集中した。
 今はそんなことよりも、父さんを殺した犯人を捜さなきゃいけない。

尾形澄人

 捜査本部に戻ると、前のほうで杉本さんが5~6人の刑事を集めてミーティングをしていた。そっと近寄ってそれに耳を傾ける。
「なにぃ? 前科がないなんて、ヤクザ歴20年のくせにありえないな。川端、黒田の写真を日比野の携帯に送って、佐藤健一と同一人物かホテルの従業員に確認取ってくれ」
「わかりました」
「それから香港にいる妻子と連絡を取れる人間を探せ。仲間でも学校でもPTAでもなんでもいい」
「はい」
 杉本さんの指示に若い刑事がパラパラと散っていく。
「黒田って誰?」
 横からそう口を出すと、杉本さんが一瞬驚いたように振り向いた。
「……尾形、おまえなぁ、あんまり勝手な行動するなよ。ちょっと待ってろ」
 そう言って、残っている刑事を見回す。
「残りの人間は中華街の応援に行ってくれ」
「わかりました。行ってきます」
 中華街で、あのホテルにいた男の聞き込みをするんだろう。集まっていた刑事が、一斉に散っていった。それから杉本さんが小さく息をついて、俺に向いた。
「で、なんだっけ?」
「さっきの黒田って誰?」
「ああ……これ。3月に殺されたOLの田口真奈美の周辺をあらいなおしたら、皆川会系暴力団の一ノ瀬組の会計士の黒田敬三と言う男と愛人関係だったことがわかった」
 言いながら、机に散らばっていたプリントから1枚差し拾って出した。面長の中年男、いかにもヤクザっぽい顔写真だ。
「皆川会?」
 皆川会っていうと、まさに深川のいる暴力団だ。
「ああ。黒田は最近になって本妻と子供を香港に送っている。何よりも黒田は昔、革マル派にいたらしい」
 また香港か。しかも、極左暴力集団の代表格の革マル派の元構成員ときた。そして、相沢が言っていた3日前に香港に飛んだ深川の右腕の川井正男と、黒田の妻子。
「パークタワーにいた人間が黒田だとすると、黒田の愛人に計画を知しられて口封じに殺したというのは、ありえない話でじゃない。万が一の時のために家族を香港に非難させている、ということもありえる」
 それでパークタワーウェストホテルにいる日比野に黒田が泊まったか確認させているということか。ここまではたぶん正解だな。
 でも、その後が違う。そっちじゃない。肝心なのは、どうして深川が実戦に疎い会計士の黒田を選んだか、だ。
「杉本さん、ちょっといい?」
「なんだ?」
「こっちに来て」
 人のいないところで話たほうがいい。杉本さんを隣の小さな会議室に連れ込んで、奥の窓際まで行く。
「……なんだ?」
「一ノ瀬組って、皆川会の中でも少し異端、だよな?」
「ああ。やり方が巧妙で不透明だからマル暴の人間もうかつに手を出せないでいる」
 最近存在感を増してきた、いわゆる知能犯的な暴力団だ。インターネットを巧みに利用して組織的に資金を集めて、暴対法が改正されても勢力を拡大しつづけている。
 その組の幹部が、殺人を犯してまで金を奪うようには思えない。しかもさっきの杉本さんの話じゃ、黒田はヤクザ歴20年なのに前科がない。つまり、黒田は自分の手を絶対に汚さない人間ということだ。そんな男が、実行犯の片棒をかつぐか?
 1つの可能性が浮かんだ。
「実は杉本さんにはナイショにしてたんだけど、俺、公安の人間と知り合いなんだよね」
 そう言うと、杉本さんは呆れたようにため息をついた。
「ああそう。おまえに関してはもう驚かないよ」
 人間は慣れる生物なんだな。
「で、ちょっと探りを入れたんだけど、どうやら公安は皆川会幹部の深川賢治を容疑者に絞ったみたいだ」
「深川賢治?」
 思ったとおり、杉本さんはあからさまに眉を寄せた。捜査本部は極左暴力集団に的を絞っていたから、当たり前だけど。
「ってことを一応報告しておこうと思って」
「……どうも信じられんな。目的は?」
「そりゃ金だろ。深川が極左の釈放を本気で望んでるはずがない。これは、警察をかく乱させるためだ」
 杉本さんの目つきが鋭くなった。
「もう一つ、深川の右腕の川井正男という男も3日前に香港に飛んでる。もし黒田の妻子が人質に取られているとしたら?」
「すでに愛人を殺されている黒田は、脅しに応じるだろうな」
 そう。だから、黒田は深川の要求、つまりホテルから雨宮家を監視して実行犯に指示を出す役目を引き受けた。
「それに全ての計画が失敗しても、深川は極左とつながりのある黒田を身代わりに差し出して、そのまま妻子を人質にしておけば深川は逮捕されないですむ」
 杉本さんは考え込むように視線を伏せて、それからふいに顔を上げた。
「その公安の知り合いってのは信用できるのか?」
 信用、か。
「嘘はつかない奴だから、大丈夫だと思う」
 相沢は黙秘や俺を利用することはあっても、欺くようなことはしない奴だ。
「ま、この情報は煮るなり焼くなり捨てるなり、杉本さんの好きにして」
 そう言うと、杉本さんは少し笑った。
 たぶん杉本さんは信じてくれる。理事官にこのことを話して、深川に捜査が手が伸びるだろう。そうなれば深川にたどりつくのも時間の問題だ。
「あ、それと雨宮は今その公安の人間に預けてあるから、電話きたら面倒みてやってよ」
 そう付け足すと、杉本さんはまた深いため息をついた。
「また勝手なことを……なんでそんなところに預けたんだ」
「犯人の顔を見たって言うから。捜査本部に持ってくると身元だなんだってややこしくなるし、深川関連の情報は公安のほうが有利だと思ったんだ」
「そうか。もうおまえの好きにしろ」
 最近の口癖みたいになってるその言葉に、俺は笑顔で返した。
「ああ、そうする」

雨宮陽生

 どういうわけか、俺は相沢に気に入られたみたいだ。これまでの相沢との会話を考えるとありえないと思うけど、本人はそう言っている。
 コンピューターやプロ用AV機器ばかりが詰まったこの部屋は、きつい冷房のせいかやたらと乾燥している。すぐに喉が乾いて飲み物を買いに行こうと相沢に電話をした。
『俺が買ってやる。何がいい?』
「いいよ、自分で買うから」
 変な借りを作りたくなくて断ったけど、彼は電話の向こうで少し笑ったみたいだった。
『おごるよ。君のことは気に入ってるからね』
 何か裏があると思ってしまうのは、やっぱりあの無表情な微笑みのせいかもしれない。とりあえず、ここは相沢を信じることにした。ジュース1本分の借りくらい、すぐに返せるし。
「じゃぁ、ファンタのグレープ。無かったら炭酸系で」
 そう言うと、相沢は5分後に注文通りファンタグレープの500mlのペットボトルを持ってきた。
「どうぞ」
 穏やかに微笑んで俺にそれを渡すと、俺のすぐ後ろに腕を組んで立ち、パソコンの画面を眺める。一度に4人の外国人の顔が映し出されてる画面は、マウスをカチカチと鳴らすとテンポ良く次の顔に切り替わる。
「去年の11月から始まった制度なんだ。だから実際に使うのは俺も初めてのデータなんだけどね。指紋もあるから、もしこの中に実行犯がいたら捜査がかなり楽になる」
 独り言のように言った。
「俺が見た奴、プロなんだろ。他にも人を殺したと思う?」
「慣れた手口ということは、そういうことだろ。君は見たんだろ?」
 相沢は俺が何を見たと思っているのか、そんな言い回しでかわす。
「殺すところを?」
 俺の問いには答えずに、穏やかな笑みを浮かべたままだった。
 見たなんて言ったら、どうなるんだろう。
 尾形は俺について何も聞かないことを条件に、ここに連れて来たみたいだ。だから聞かないつもりかもしれないけれど、相沢が何も知りたくないわけがない。
 
「本当に何も聞かないんだ」
「聞かないっていう約束だからね」
「律儀だね」
 正直に感想を言うと、相沢は少しだけ口角を上げた。
「違うね。貴重な情報源との信頼関係を壊すつもりはないだけだ」
 なるほど。利用されてるだけってことか。
 カチカチとクリックを続けていると、デスクに置いた俺の携帯バイブが鳴った。尾形からだった。脳裏にカラオケボックスでのことがよみがえって、こんな状況なのに心拍数があがってしまう。相沢に気付かれないよう平静を保ちながら、携帯を手にとった。
「なに?」
『はかどってるか?』
 いつもと変わらない声に、不覚にもほっとした。
「まぁまぁ。絞り込んだら11万人になった」
『そうか、がんばれよ。相沢はどうだ?』
「ここにいるよ」
『まさか見張ってるのか?』
「ジュース買って来てくれた」
『ははは、呑気だな。ま、ちょうどいいや。相沢にかわって』
 なんだ、俺に用があるわけじゃなかったんだ。
「尾形が代われって」
 不機嫌にそう言って携帯を差し出すと、相沢はやっぱり柔らかい無表情でそれを受け取る。
「なんの用だ」
 何かを聞いて、相沢の顔がわずかに真顔になったような気がした。
「黒田が?……いや、一ノ瀬なら知っている。俺が直接話に行く。――それを説明する必要はないだろ」
 あくまでも冷静な口調と柔らかい表情。
「一課の人間? ……嫌だと言ったら? ――わかった。ただし安全の保証はしない。――了解」
 相沢はそう言って電話を切ると、丁寧に表を向けて俺に返した。
「事件に関係しているらしい人物が挙がった。ちょっと出掛けるから、何かあったら携帯に」
「黒田と一ノ瀬って人?」
「そう。ヤクザだよ」
 柔らかなままそう言うと、部屋を出て行った。

 キーワードが、つながってきた。
 極左暴力集団の受刑者。
 カモフラージュ。
 主犯は、右翼寄りの暴力団皆川会の幹部・深川と、その右腕で今は香港にいる川井正男。
 父さんと母さんを殺した男の報酬が香港ドル。
 ヤクザの黒田と一ノ瀬。
 目的は金。

 右翼寄りの深川が香港の殺し屋に父さんと母さんを殺すように依頼して、極左の人間を釈放するようにじいさんを脅迫した。相沢の言う「本当の目的」、つまり金を手に入れるために、自分が極左の人間だと警察に思わせるための作戦。だからこの後、必ず身代金を要求してくるはずだ。俺の命と引き換えに。そのために、見せしめみたいに父さんと母さんを、何の躊躇いもなく殺した。
 ここまでは、見えてきた。
 でもわからない事もたくさんある。
 黒田と一ノ瀬は、深川とどういう関係なのか。
 どうして、よりによって警護が厳しい総理大臣の家族を狙ったのか。身代金程度だったら、どの家族でもいいはずだ。現に防衛大臣の辞任を脅迫した時は一般人が殺されたって言ってた。それなのに今回あえて総理大臣を狙った意図は、どこにあるのか。
 深川に、何のメリットがあるんだろう。父さんと母さんが死んで得する人間、が他にいるのかもしれない。