始まりの日
未来 - 11
雨宮陽生
麻布の家を囲うように、何人もの警察官が警備をしていた。
あれだけの事件が起きて、しかも隠蔽してるんだから、当たり前か。警察もそんなにバカじゃないんだな。
「何かあったんですか?」
野次馬たちがそう聞くと、どの警官も口をそろえて「放火です」と答えていた。意外と適当な理由でちょっと呆れたけど、野次馬は「ひき逃げされた上に放火なんて、ついてないねぇ」と言いながら去っていった。
昨日入った門には黄色い「KEEPOUT」というテープが張られていて、尾形が破った木製のくぐり戸は修理されて閉ざされていた。中の様子は、全く見えないし、覗こうとしても警察官に睨まれて何もできない。
中に入るのは無理だとしても、どこか高い建物から見てみたくて、家の周りをぐるりと歩き回った。無駄に広い家だけに、周囲を回るだけで30分近くかかった。
「あっちぃ……」
午前中とはいえ真夏に坂道を歩き回り、汗だくになった。手に持っているペットボトルのお茶はとっくに空になって、背中から照りつける太陽で、髪の毛がジリジリと焦げそうだ。
結局、高台にあるこの家の近隣には、大使館と由緒正しい料亭と、この家と同じような立派な屋敷しかなくて、中を覗けなかった。
ここに来た理由は、1つの大きな疑問が浮かんだからだ。
それは、犯行時間。昨日の事件は俺がここに着いた直後、つまり午後8時頃の犯行になる。真夏のこの時期、8時なんて下手すれば誰かに目撃される、襲撃にしては早すぎる時間帯。計画的な犯行なら、普通はもっと遅い時間に、家族が寝静まってからのほうが楽だと思う。それなのにどうして、大人が全員起きているあんな時間に襲撃したのか。
昨日車を停めた場所に立って、もう一度ぐるりと周囲を見渡した。
この辺りは都心なのに木が多い。しかもどれもでかくて、夏の日差しを浴びて青々と茂っている。
そう言えば、この家の中にも立派な日本庭園があって、俺はそこでアルとよくじゃれてた。事件の2週間前に、庭に作ったビニール製のプールでアルと一緒に遊んでて、尾形がそれを見ていたのを思い出した。
不思議だな。
あの頃に会った人に、今こうして助けられている。杉本さんにも。
めぐり合わせ、って言うよりも、宿命っていうのかな。4歳の俺は今頃ホテルに缶詰にされて月本と遊んでいる間、こうして17歳の俺が事件の真相を知ろうとしている。
昨日、俺がどんなに父さんと母さんを助けようとしたとしても、2人とも殺されていた。
俺が何をしようと、俺の中の過去は何も変わらない。たぶん俺が今からすること自体が俺の過去の中に含まれてる。
ひどく不自然で、俺がなにをしても結局何も変わらないことに、不安を覚えた。
その不安を掻き消したくて、空を見上げた。
青々と茂った広葉樹の梢のむこうに、東京タワーの赤と白の骨組みが見えた。
この家の子供部屋からも東京タワーが見えて、よく眺めていた。そういえば、事件の少し前に高層ビルがオープンして、俺はそのビルがニョキニョキと成長するように出来ていくのが面白くて、いつも観察していた。
この位置からじゃ木に隠れて見えないけど――……あれ? そうか、あのビルが子供部屋から見えるってことは……。
あの夜も、東京タワーを見た。
風通しのいい部屋だから、夏場はよく窓を開けて寝ていた。分厚い遮光カーテンは風を通さないから開けっ放しにして、あとでお母さんが閉めてくれるんだよと、俺はそう父さんに言ったんだ。
そうか、そういうことか。
携帯をポケットから出して、時間を確認する――9:44。
急がないと、犯人に繋がる証拠が消されちゃうかもしれない。
そう思って走り出そうとした時。
「待ちなさい」
黄色いテープの内側から、落ち着いたが聞こえた。
「……?」
振り向くと、細身のダークスーツを着た男が、俺を見て涼やかに微笑んでいた。このくそ暑い中でもジャケットを着てきっちりとネクタイまでしている。それなのに、額に汗ひとつかいていない。そこだけ季節が違うみたいだ。
「そう、君」
立ち止まった俺にそう言って、彼はそのテープの下を潜り抜け、歩み寄ってきた。
誰だ、こいつ。
「昨日の晩、そこにいたね」
そう言いながら、チラリと門の方に目をやった。
こんな奴、いたっけ?
昨日俺が見たのは尾形と杉本さんを除けば、刑事2人と救急隊員2人だけだったと思う。でも実はこの人もいて、俺は動揺して気づかなかっただけなのかもしれない。ただ、それを認めてもいいのか、わからなかった。俺の存在を隠してくれている尾形と杉本さんに、迷惑をかけてしまうかもしれないから。
答えずにいる俺を、彼は穏やかな顔でじっと見て、何も言わなかった。俺が答えるのを待っているみたいだ。落ち着いていて、それだけで曲者っぽい感じがする。
「俺が、ですか?」
少ししらばっくれてみたけど、見え見えだったみたいだ。彼は表情を変えずに意味深な沈黙を作った。
「……あんた、警察の人間だろ?」
そう聞くと、小さく微笑んだ。
「そうだ」
俺が昨日ここにいたと認めたら、どうするつもりなんだろう。頭はよさそうだから犯人にはされないだろうけど、事情聴取くらいはされそうだ。
そんなことを考えていたけど、彼は予想外な質問をした
「君、尾形とはどういう関係?」
「……?」
どういう意味だ?
尾形が俺の存在を隠していることが、問題になっているとしても、こんな聞き方しないはずだ。そもそも事件に関わってる人間だったら、俺と尾形の関係よりも、俺と雨宮家の関係の方が気になるはずだし。
あまりにも彼の考えが読めなくて、漠然とした不安がよぎった。
こいつ、何を聞きたいんだろう?
「そっちこそ」
動揺を隠してそう返すと、彼は、ほんの少しだけ口角をあげた。そして、俺が思ってもないことを平然と口にした。
「彼とは、4回寝た」
…………は?
なんだ、それ。
呆然とする俺に、初めて彼が表情を変えた。どこか挑発的に、鋭い目をして続ける。
「よかったよ、すごく」
その言葉に、苛立ちを覚えた。
何が言いたいんだ、こいつ。そんなふうに見せ付けて、俺にどうしろって言うんだ。
彼はじっと俺を見て、ふと視線を伏せた。そして呟くように、
「傷つけたかな」
は――? 傷ついたって、俺が?
何かとんでもない勘違いをしてんじゃないか?
思わず眉間に皺を寄せて見つめ返すと、そいつは元の少し微笑んだような静かな顔に戻った。
「お詫びにいいことを教えてあげる。犯人の一番の目的は、金だよ」
……だめだ、意味がわからない。
「なんでそんな事、俺に言うんだよ」
けれど彼はそれには答えずに、身を翻してまたテープの内側に戻った。そして、一瞬だけ足を止めて振り返ると、
「またね」
柔らかに言い置いて、門の中に消えていった。
俺はなぜか冷静にその背中を見送った。
なんだったんだ、あいつ。何のために俺に話しかけたんだろ?
こんなに会話が噛み合わない人間、なかなかいない。
尾形の相手するだけあって、こいつもかなり危険人物だ。普通、誰と何回寝たとか、しかもその感想とか、他人に言うか? 俺がもし警察の人間だったら、あいつら変態扱いされて警察の笑いものだっつーんだよ。
それに、またね、って言われたけど。
「会いたくねーな……」
つーか、尾形って本当にゲイなんだ。
だとすると、今朝の俺の行動はかなり危険だったんじゃないか……?
尾形澄人
捜査会議の後、もう一度、麻布の雨宮邸に来た。
鑑識作業はとっくに終わっていて、周りの交通規制も解かれている。門の前にいた所轄の警察官2人に科捜研のIDを見せて中に入った。
玄関へ繋がる石畳で、物々しいスーツの集団とすれ違った。現場を見に来た公安の刑事だろう。あいつらは挨拶をしないからすぐにわかる。相沢も来てたかもしれない。
なんとなくその集団を見送ってから、土足のまま家に上がる。血痕をよけて薄暗い階段を上り、2階の子供部屋のドアを開けた。
厚手の青いカーテンを閉め切った、薄暗い部屋。下見の時に入った部屋とは、まるで違う部屋みたいだった。
初めて下見に来たあの日、この部屋には4歳の陽生がいた。
ひとりで本を読んでいたその小さな背中は、どこから見ても4歳の男の子だった。俺に気付いて振り返ったときの顔は、少し大人びた表情で、それから屈託なく笑って
「ねぇ、アンパンマンって知ってる?」
と言いながら俺に近寄ってきた。
脅迫だとか殺人だとか、そんなドロドロした世界に現れたその純粋な笑顔に、心が癒された。だから久しぶりに優しい気持ちになって「知ってるよ」と答えたのに――あのガキは、
「じゃぁアンパンマンのキャラクターでしりとりしようよ。僕からね。らーめんてんし」
し、しょくぱんマンって「ん」が付くし……つーか、
「アンパンマンのキャラクターっつったらほとんど『ん』が付くじゃねーか!」
と子供相手に思わず本気で怒鳴ってしまった瞬間だった。そして母親にわざとらしく泣きついて俺が困るのを見て小悪魔のごとく笑っていた。
つまり、雨宮陽生は4歳にしてすでに、他人にどう見られているか理解して大人をからかって遊ぶような子供だ。
それなのに、俺は今、17歳の雨宮に惹かれている。人生ってのは本当にわからないな。
フローリングには、拭き取りきれなかった血液が赤黒く変色して乾いていた。そのすぐ脇に、犯人の足跡や薬莢の落ちていた場所に印が残っている。署で見た鑑識の資料でもわかったけど、その順番をたどると、犯人がベランダから侵入して何のためらいもなく犯行に及んだことがわかる。必要最小限の、移動だ。
ここには子供のベッドしかない。子供を殺すつもりはなかったのに、どうして子供部屋から進入したんだろう。子供が起きて大声でも出すリスクを考えたら、全員が寝静まってからこっそり夫妻の部屋に忍び込むのが得策だ。
そもそも、真夏のこの時期に午後8時なんて早すぎないか? いくら人通りが少ないといっても、塀を越えるのを目撃されるリスクが高すぎる。
おかしいことだらけだ。
部屋の中を見回しながら、明るさを確保しようと重いカーテンを開けると、午前中にもかかわらず強い日差しが差し込んだ。
正面に東京タワー、その手前には、最近できたばかりの高層ビルが見えた。
「あれ……?」
何か、おかしい。
あの夜も、東京タワーが見えた。
つまり、カーテンが全開だったんだ。
普通は、夜はカーテンを閉めるだろ。特にこの窓は真東を向いているから、朝の直射日光は半端じゃないはずだ。それなのに寝る前にカーテンを閉めないなんてことがあるんだろうか。
犯行直前の状況を頭に思い浮かべてみる
夜8時、カーテンの開いた子供部屋で父親が子供を寝かしつける。その時間だったら母親はキッチンで夕食の後片付けか。総理は書斎で仕事中でその書斎の前にSPが1人いた。大人は全員別々の部屋にいたというわけだ。その家族がバラけた瞬間を狙っているようにも思える。
1つの映像が脳裏に浮かんだ。
子供が寝付いて電気を消した直後、何者かが2階のベランダから侵入し、雅臣氏を射殺、同時にもう1人が書斎に侵入して総理も眠らせた。そして、物音に気付いて階段を上ってきた母親を射殺した。
誰がどんな動きをするかわからない個人の家で、そんな計画的な犯行を実行できたのはどうしてだ?
開けっ放しのカーテン、東京タワーと高層ビル――……あぁ、なるほど。
「わかった……」
すとん、と、すべての疑問符が消えた。
携帯を取り出して、リダイヤルをする。2コールで、杉本さんが出た。
『どうだ、プロファイリングは進んでるか?』
「あー、それなんだけどさぁ。あいつらただの実行犯だからやっても即効性ないと思って、放置プレイ」
そもそも、プロファイリングは俺の仕事じゃないし。
『は? おまえ、自分の仕事をなんだと思ってるんだ。理事官の命令だぞ』
「今、現場に来てる」
『おい、人の話を聞け』
「あいつが俺に命令なんて100万年早いんだよ。で、報告があるんだけど、その前に芝公園に新しくできた高層ビル、なんて名前だっけ?」
そう言うと、杉本さんは観念したようにため息をついた。
『ったく……パークタワーウェストだったと思うがそれがどうした?』
「それだよ、杉本さん。ずっとおかしいと思ってたんだ。どうしてあの時間だったのか、どうして犯行現場が2階だったのか」
『どういう意味だ?』
「昨日の事件直後の部屋、覚えてる? 東京タワーが見えた」
『そんな余裕はなかったな』
「見えたんだよ、ここから。子供部屋のカーテンが全開だったんだ。つまり、外から丸見えだったってこと」
『丸見えって、どこ――そうか、あの高層ビルから覗いていたってわけか』
さすが杉本さん。察しがいい。
「たぶん、そうだろうね。あのビルの上層階はホテルだし」
『わかった、調べる価値はありそうだ』
「だろ。令状とってよ、俺ここから直接そのビルに行くから」
『了解、日比野をやるから待ってろ』
杉本さんは早口にそう言うと、電話を切った。
犯人が家族全員の行動を把握できる場所があるとしたら、あのホテルしかない。ちょっといい双眼鏡を使えば、簡単に覗けるはずだ。
時計は午前10:00を回ったところだ。客室清掃が入っていないことを祈るしかないな。