始まりの日
未来 - 1
俺の記憶は、俺が4歳の時、2008年8月14日木曜日から始まってる。
その日のことは全部鮮明に覚えている。
目が覚めたら知らないホテルの部屋にいて、じいさんと何人もの大人に囲まれていた。普段は厳しいじいさんが、異様なほど優しい顔をしていて、ちょっと引いた。
「陽生、大丈夫か?」
「ど、どうしたの、じいちゃん、そんな顔して。なんでこんなにいっぱい人がいるの?」
大人は全部で9人いた。スーツを着ている人、白衣の人、警察の制服を着ている人。あまりに殺伐としていて、あの時は、さすがに不安になった。
「陽生が急に気を失ったから、おじいちゃんびっくりしてお医者さんに見てもらったんだよ」
俺は、何かのきっかけで気を失って心配されてたんだと理解した。それと、なんで警察がいるんだろう、と疑問に思ったけど、じいさんはすぐに仕事に行くと言って出て行った。
じいさんは5人も引き連れて行ったから、一気に部屋が閑散とした。残った4人は医者と看護婦と、2人のSPだった。
そのSPの1人、月本という20代の男に、それから3日間警護された。ずっとホテルに軟禁状態だったけど、月本は澄ました顔をして生意気で、しかもSPにしては頭が切れる奴だったから、意外と楽しかった。
「月本って、警察だろ? なんで俺なんか警護してるの?」
そう聞くと月本は、
「子供は知らなくてもいいんですよ」
と、4歳の俺に変な敬語で答えた。
月本は、総理大臣の大事な4歳の孫の俺に対してあくまで敬語だったけど、大人に接するみたいに対等に話しをした。
「なぁ月本、どうしてテレビ見ちゃいけないんだよ?」
どうしてか、テレビの電源が抜かれていた。いや、抜かれてるなんてもんじゃない。46インチの立派なプラズマテレビがあるのに、なぜか電源コードだけ無かった。意図的に俺に見せないようにしているのは見え見えで、かなり苛ついたのを覚えている。軟禁するんだったら、それなりの設備を整えろ、とじいさんに電話してやろうかと思った。
「それが、雨宮総理の教育方針なんでしょう?」
「知らないよ。じいちゃん、きっと自分がテレビに映ってるの見られるのが嫌なんだ」
そう言うと、月本は上品に笑った。
ちなみに、1年後、なぜか月本はじいさんの秘書になった。理由は今でもわからないけど。
そんなこんなで、3日後、横浜の今の家に引っ越した。どうして麻布から横浜に引っ越したのかは、今でもわからない。
両親がいないことを不思議に思ったのは、それから2週間後だった。テレビをつけて、普通は親と言う人間がいるんだ、ってことに気づいてからだった。
じいさんに「どうして俺には父さんと母さんがいないの?」と聞いたら、じいさんは凄く驚いて、もう少し大きくなったら話すよ、と言われた。別に不思議に思わなかった。
両親との記憶が、まるでなかったから。楽しかった記憶も、何もなかったから。
だから、生まれた時からいなかったんだ、と思った。